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2022-06-10 18:48 0 comments

813 喫緊の課題

引用元 

今、日本国にとっての課題は山ほどある。

ただ、重要なことは、国益を考える上で何を優先しなければならないか、である。


経済力優先論者は、金銭的・物質的豊かさが国力を高め、国を豊かにすると考え、毒饅頭でも美味しければそれで良い、儲かればそれで良い、それで傷つく日本人がいても、日本に入り込む敵勢力がいても、経済界の知ったことではないとの共通項を持つ。

ツートラック戦略にいとも簡単に同意することしかり。安全保障を棚上げにしても、韓国に対する輸出管理の適正化を問題視することしかり。昨今の情勢であるにもかかわらず、中国進出の継続により、社員の人命や国防に直結する情報に対する危機管理を正そうとしないことしかり。

 

武田信玄は「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」と言った。

至極名言である。

 

今の日本経済界は、新自由主義・利益優先主義の波を言い訳に、低賃金で外国人労働者を雇い入れ、コストのみで日本人の労働者市場を切り崩している。移民政策にも積極的だ。

敵性国家への情報漏洩、品質低下、劣悪な労働環境など、その弊害が出ても当然だろう。

国民を蔑ろにした建前だけの企業理念、国益よりも企業利益の優先。結果、国益を守ることが企業組織を守ることになる、という最も重要なことを置き去りにし、そのための石垣や堀になるであろう日本人を大切にしようとする配慮を失くした。

コロナ禍がきっかけとはいえ、今になってサプライチェーンの重要性に気付くとは。


企業利益優先の弊害として生じる不利益を、日本人は許さない。


グローバル化とは、その根底に国家意識を持たないということではない。

極限までそれを表面化させないだけである。GAFAやテスラを見れば一目瞭然ではないか。日本の経済界が理解していないはずがない、と感じるのは少数派だろうか。

ただ単に、ふらふらと漂流する迷い船のような状態であるならば、意図を持った海賊船の絶好の餌食になることは、幼いころから童話などで学んでいるはずなのに。



少子化対策優先論者は、人的導入を叫ぶ。いわゆる移民政策だ。

そもそも、日本人は寛容である。イエズス会が連れてきた黒人奴隷「弥助」を、織田信長は人物評価のみで側近中の側近に召し抱えた。

古来より日本人は、無条件の差別意識や排他意識は持ち合わせず、弱い者、困っている者はもちろんのこと、自分と違う意見の者や、失礼な振る舞いをする者であっても、寛容の心をもって接する。

また、個人の利益を優先することを何よりも恥として来た。

しかし、そうであっても、単に数の上での国民を増やせば良いという問題ではない。


日本は、日本人特有の精神文化と、天皇を仰ぐ精神の集合体が形成しているのである。

郷に入れば郷に従え。

何よりも日本の風土を尊重しなければならない。


最低でも、少子化対策には入国管理・住民管理・出自管理が必要であろう。

アメリカでは、市民権取得の宣誓式で、「忠誠の誓い」において以下の5つを誓う。

◎ アメリカ合衆国憲法への忠誠の誓い

◎ 以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い

◎ 国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い

◎ 法律が定めた場合、兵役に従事する約束

◎ 国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす約束

(ケント・ギルバート著「アメリカ人だから言えた戦後日本教育の不都合な真実」から)

しかし日本では、「日本国籍を取得したのは、ただ単に都合が良いから、便利だから。」と、テレビ番組で中国人がその本音を平然と語った。

日本では、スパイであることが明確であっても、移民・国籍変更が容易にできるのである。

日本を蝕もうとする者たちが入り込むスキを与えることを、どう考えているのだろうか。


自国のドアや窓を野放図に開放し、来訪者を迎合することは国益ではない。



平和優先論者は、その言葉に大きなウソを隠していることをわかっているのだろうか。

「平和」の対極は「戦争」である。

したがって、平和を語るには戦争を語らなければならない。

日本の平和を希求すると言うのなら、日本が侵略されるシミュレーションを、保守論客が考え付かない、およそ確率的にそれはないだろうというところまで予想し、それに対処する法案を提示しなければならない。

必然的に、国防の増強を何よりも訴えることになる。

他方の「軍事侵攻、侵略戦争」の可能性を考慮せず、当方の「軍事力放棄、軍事対策否定」だけを声高に叫ぶのが、本当に日本国の安全の為になるのか、本当に日本国の安全を考えているのかは、火を見るより明らかである。

なのに、「憲法9条があれば戦争できないから戦争にはならない」「国防力を高めれば、他国を挑発し、戦争の危機を煽るから戦争につながる」「戦争のできる国にするのか」と、平気で言うから呆れるばかりである。

また、その言動に付和雷同する者が、有権者として日本の足を引っ張っている。


安全を担保するには、危険回避策と危険対抗策が必須である。

平和を担保するには、戦争抑止策と戦争対抗策が必須である。


学校で是非とも教えていただきたいものである。



人権優先論者は、特定の個人の自由権と幸福追求権を第一義とし、その視点からすべてを語ろうとする。そこには、憲法14条を水戸黄門の印籠とし、暗黙の解釈幅を主張する。

日本を蝕もうとする者、もしくはその操り人形になった者は、意図的にその解釈幅の一方に偏り、あらぬ方向に日本を導こうとする。

平行線に1度でも角度をつけて延長線を描けば、時間とともに大きな隔たりができる。その角度を持たされた平行線に対して、同様に1度の角度をつけて延長線を描けば、さらに偏位は大きくなる。

平等や思想信条の自由を前面に押し出すのは良い。

法律実務家が法の範囲で力を誇示するのも良い。

法令の解釈もあるだろう。どの判例を適用するかの裁量権もある。

報道の自由権もあるだろう。

しかし、深部に共通した悪意を存在させてこれらが連携した時、巨大なモンスターが生まれる。おそらく、今までにも、数多くの不可解な事件がそういった巨悪の餌食になったことだろう。姿の見えない巨大なモンスターに日本人はいいようにされてきた。

このブログの読者はすでにご承知であろうが、幸か不幸か、今般の「懲戒請求不当訴訟」において、それが明るみにされてきている。


志士の行動によって司法に巣くう巨悪が炙り出されている。


国家運営にとって、内政・外政ともに重要ではあろうが、内なる敵、獅子身中の虫を駆逐することが喫緊の課題である。既に狼煙が上がっていることを、志のある国会議員、公務員、有権者には理解していただきたい。


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