余命三年時事日記 ミラーサイト
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2016-06-21 23:12
893 寄付金メッセージ10(0)
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はなちゃん
今朝、801に投稿しましたが再度寄付金確認のため投稿します。
 僅かばかりの金額で申し訳ありませんが、今は亡き父の名の併記をお願いします。父は特攻隊に志願し、予科練に在籍しました。出撃前に終戦となり長崎に帰郷。原爆で焼け野原になった中、母親と妹の遺体を探し回ったそうです。父を靖国に連れて行ける機会を頂けてありがとうございます。
.....70p9行に併記してある。

えり
既に入金データの送信は済ませておりますが、家族の名前も記載して頂けるということなので、再度、コメントさせて頂きました。
住所は全員同じです。よろしくお願いします。
.....みなさんご一緒に、併記させていただいた。23p28行。

「凡夫T」と申します。余命様、メンバーの皆様、お世話になります。2016年6月6日に、「すみれの会」へわずかですが送金しました。何もしていないのにおこがましいとは思いましたが、874、875、876が設けられたことと、余命様の「かく戦えり」という言葉に惹かれ、投稿することにしました。
祖父も父も、英霊の皆様たちも「かく戦って」きました。この事は受け継いでいかなければ…とひそかに心に決めております。

新緑
余命様、余命チームの皆様、毎日お疲れ様です。今回、このような機会を頂き余命読者の一員として参加できたこと、深く感謝しております。
 最近、参議院選挙に向けて共産党や社民党のチラシが入っていました。瀬戸内寂聴さんは相変わらずお元気のようで…。今までは即ゴミ箱行きでしたが、今回は魚拓として取っておくことに。
こんな変な時代もあったんだよ、と語れる日本にしたい。
そのためにも選挙ですね!
怒濤の記事更新、余命チームの意図を読めた試しのない私ですが(笑)
皆様(半日除く)、共に日本を取り戻しましょう。

○子
義父は、大東亜戦争時支那に出兵しておりました。戦後、無事に日本へ帰還する事が出来まして、義母と結婚致しました。義母には想い人がおりまして、御用列車の車掌をされていましたが、戦死なされたと聞き及んでおります。どうか、靖国で再開されて、想い出話をしてもらいたく、何卒、宜しくお願い申し上げます。
 ご多忙の折にも関わらず、余命様のお言葉に甘えさせて頂き、申し訳ございません。どうか、呉々もご自愛下さいませ。
.....みなさんご一緒に併記させていただいた。3p20行。

機上のクーロン
5月24日に振り込ませていただきました。
寄付は除鮮のためであり、名前を残すために振り込んだのではない、とコメントせずにおりましたが、家族を併記して頂きたく思います。宜しく御願い致します。
.....71p14行。みなさんご一緒に併記させていただいた。

Lee
余命翁様 プロジェクトチームの皆様
連日お疲れ様です。そして、ありがとうございます。
 読者の皆様のご意見 頼もしく拝読させていただいていますが、やっぱり余命様のコメントを見ると嬉しくなります。日本を取り戻すその日まで 皆々様どうぞご自愛ください。
 ところで、本人の情報がないとのことですが二人だけです。
 5月30日に少ないですが寄付させていただきました。
 お手数をおかけして申し訳ありません。

今まで神社がタブーの世界で生きてきましたが(笑)
これからお伊勢参り等もどんどんしようと思います。
 先日靖国神社に参拝したとき 中国や韓国と思われる人々が大勢いてびっくりしました。ただの観光だろうと思いますが。

釜爺
データの不備がありましたので、よろしくお願いします
.....みなさんご一緒に併記させていただいた。69p32行。

摩天楼
締切後に振込して申し訳ありませんm(__)m私の家族三人分お願いいたします
.....併記させていただいた。

岳志郎
祖父は101歳でまだまだ元気です。戦争時は徴兵で満州に行ったそうです。
自分は恥ずかしながら25歳を過ぎるまで日本の歴史、なぜ戦争が起こったのかを知りませんでした。
25歳の時に北海道に住んでいる父が靖国神社に行きたいと言って一緒に行ったのが歴史を知ろうとしたキッカケです。
 余命様のブログに辿り着いたのは2代目様の【新春放談会】の記事が初めてでした。それから3週間かけて最初から読み、今の日本の構造を深く知りました。
 自分が出来る事は小さいですが、子供達の未来が少しでも良くなるように一歩づつ、やれる事をやっていこうと思います。
3代目様が亡くなっていたのはショックでしたが現3代目様は日本再生まで元気で見届けて欲しいです。
2代目様もたまに座談会等で記事に出て頂けると勇気をもらえる人は沢山いるかと思います。 余命プロジェクトチーム様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
.....併記させていただいた。

山ゆりのごとく
余命様 スタッフの皆様大変な作業と情報を有難うございます。
義父は終戦後シベリア抑留からの生還者であります。大変ご苦労をされて帰国されたと聞いておりました。ただ御本人からは直接話を伺ったことは有りませんでしたが、60歳を過ぎた頃シベリア抑留を小冊子にまとめ送って下さいました。
 戴いた時に一度読み、捕虜とはかくも悲惨なものそれを乗り越えて、何に対しても一生懸命、実直を貫いている義父を尊敬しておりました。(2年前に亡くなりました)
 最近小冊子が気になり読み返してみました。 以下まとめ
 昭和20年8月24日幌延島 占守島の全兵力が集結して武装解除 何も知らされないままソ連船に乗船9月29日出港10月6日ポートワニラ港着
 収容所を12か所へて帰国(収容所に依って作業内容を体力、栄養状態(ギリギリの食事量しか与えなかった)を見ながら重い作業、軽作業に割り振りもう働く体力が無い時点でやっと帰国)
 帰国前にソ連にて民主主義の勉強があり一生懸命勉強しないと帰国させてもらえなかった。皆一生懸命勉強しました。 (と記述が有りました。民主主義??) 合格を戴くと貨車に乗りナホトカ駅まで行き、また勉強 第一収容所 予備教育 第二収容所 民主的作業と実践 第三収容所 ソ連民主主義体得の宣誓の場 (第一~第三の間に一つでも悪い行為があったり民主的に徹しない者は残留となり帰国は中止)その後復員式を終了して乗船
ソ連の所長と復員官より訓示あり 帰国後は民主主義を大いに実践し新日本の建設に遇進を願いたい旨の話
昭和22年10月15日ナホトカ港出港10月18日舞鶴港着  
(ソ連は帰国を餌にマインドコントロールをして帰国させたんですね 義父は社会党支持者だったそうです。つい最近夫から聞きました。)
 一生懸命国の為に戦い収容所の過酷な重労働、飢えに耐え帰国された義父の名前をせめて靖国神社にと思い併記をお願い致します。長文失礼致しました。
余命様 スタッフの皆様どうぞお体をご自愛ください。皆々様のご健康ご活躍を心よりお祈り申し上げます。
.....併記させていただいた。

神主の末裔
余命様、スタッフ様
記述不足、失礼しました。
.....69p22行。併記させていただいた。

鍋焼きうどん
余命さんこんにちは。
私も併記して頂きたい故人がいるのですが、お願いしてもいいですか?祖父と祖母です。終戦当時祖父は岡山県の片田舎で町長をしていましたが、戦犯として処せられ、公職追放の身となりました。日本再生をどんなに切望しているでしょう。
 彼方の世界から私達を見護り、応援してくれていると思います。
 宜しくお願い致します。
余命さんお身体大丈夫でしょうか?
くれぐれも無理なさらずに、ご自愛くださいね。
いつもありがとうございます。
なんだか涙が止まりません…。
.....71p36行に併記させていただいた。

らいむ
私が覚醒したのは、両親のお陰です。
父は仕事を引退した頃から、アメリカ、中国、南北朝鮮が悪いと言い出し、何となく韓流ドラマにハマりかけていた私は、敵を知らないと闘えないから観てるの、なんて言い訳していました。
昨日は早速両親に電話で、桜井誠さんが都知事選に出る旨伝え、皆でワクワクしています。
舛添氏の一回目のリコール街宣に参加して以来、やっとこの日が来たと胸熱です。
そこで本題ですが、両親の名前も併記していただいても宜しいでしょうか?
よろしくお願いします。
お手数お掛けしてすみません。
.....9p28行に併記させていただいた。

讃岐うどん
.....71p32行に併記させていただいた。

やきとり
ちなみに、すみれの会への韓国、朝鮮人からの振込みは確認されたのでしょうか?仮に1件でもあったのなら、なんだか救いがあるような気がするのですが。
.....余命は名前と金額の報告を受けているだけだから、入金先まではわからないし必要もない。すみれの会は政治団体ではないから気をつけているだろう。一人でもいれば大騒ぎだよ(笑い)

kouwa
お願い 連日の奮闘に敬服いたします。
.....併記させていただいたが、ご両名とも住所、生年月日が抜けてるよ。

あつこ
初代余命様から見させて頂いております。覚醒しました。本当に感謝しています。今、TBSの報道特集(6月11日)を見ております。あまりにも酷い偏向報道で憤りを感じます。全くの嘘じゃないですか。日本ってこんな酷い事になってしまっているんですね。ここは日本なんですよ。朝鮮人が擁護されて美化されて、日本人が差別されています。
本当に腹が立ちました。
これからも少しですが寄付をさせて頂きます。頑張ってください。

S.N.
余命様、スタッフの皆様 いつもありがとうございます。
お手数をおかけしますが、妻の併記をよろしくお願いいたします。
.....72p6行に併記させていただいた。

トシオ
余命様、余命スタッフ様ご苦労様です。
初代の途中から拝読させていただいております。
 安部第一次内閣時、美しい日本を取り戻す、と言われていたことの真意が理解できていませんでしたが、余命様のおかげで、在日に浸食された日本を取り戻し、美しく再生することだと気付きました。
これからも応援しています。
.....70p36行に併記させていただいた。

とっち
余命爺様、余命プロジェクトチームの皆様、いつもありがとうございます。
すみれの会への寄付は5月25日の夜(手続き完了は26日?)の1回だけです。
昨年亡くなりました母も併記していただけると、嬉しいです。
お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。
.....1p12行に併記させていただいた。

さく
余命翁様、スタッフの皆様、気候が熱気を帯びてくる中、体調を崩されていないでしょうか?
お手数をおかけしてしまうのではないかと、ずっと悩んでいたのですが、思い切ってお願いをすることにしました。
 他の方々のコメントを読ませていただくに従い、戦時下を生き抜いた祖父母の名を、どうしても靖国神社に納めていただきたくなりました。
 父方の祖父は金属の装飾を行う職人で、少々口が悪く、あまり多くを語らない人でした。戦争の事を語ったのも、たった一度だけ。当時小学生だった私には、恐ろしいことを体験してきたんだ、という印象しか残っていません。
 祖父の戦歴を知ったのは、死後、祖母の作成した勲章等のパネルによってです。
 昭和16年に現役兵として入隊し、その後、満州への派遣されました。大東亜戦争により、フィリピンルソン島に派遣され、各地に従軍、戦闘に参加。そのまま終戦を迎えたようです。
 兄弟は誰も残らず、靖国神社の英霊となられました。
父方の祖母は存命ですが、足腰が弱ってきたため、数年前に皇居で執り行われた一般参賀を最後に、東京からは足が遠のいております。
それまでは毎年戦没者の供養に足を運んでいたのですが、齢90を超えますと無理もきかなくなってしまいます。
その代わりというように、戦時中の話を聞かせてくれるようになりました。その時分は神奈川の親戚の家で、子供の世話をしていたようで、水平線からB-29がこうやって現れた、とか、戦後はこんなことがあった、と、ぽつりぽつりと話してくれます。
 唐突に話し出すので、記憶しておくことが難しいのですが、できる限り覚えておきたい、と、祖母とよく話すようにしています。
 一転、母方の祖父は体の弱い人でした。身体には麻痺、難聴があり、のちに結核を患い40を数えることなく亡くなっております。
そんな祖父を支え、女手一つで母を育て上げた祖母は、戦時中は東京におり、東京大空襲の中を命辛々生き延びました。
 男兄弟は南方戦線にて戦死、または、シベリアへと抑留され、遺品、遺骨は何もない、と寂しそうにしていた姿を憶えています。
 4人とも大正生まれにて、戦前から戦後の日本を支えてきてくれた小さな力だと思っております。
 靖国神社に奉納していただければ、何よりの供養になると思っております。
 私の名前は削除していただいても構いません。また寄付できる機会が必ずあると考えておりますので、ぜひとも両祖父母の名前をよろしくお願いします。さく
.....みなさんご一緒に併記させていただいた。

オムライス(カガワケン)
他2名は家族です。付記してください。
よろしくお願いします。
.....みなさんご一緒に併記させていただいた。

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