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2018-01-09 03:15 0 comments

2224 ら特集10仙台弁護士会④2(0)

引用元 

平成27年03月12日 道徳の教科化等に反対し学校教育法施行規則改正案及び学習指導要領改訂案に反対する意見書
ttp://senben.org/archives/5747
仙台弁護士会  会長 齋藤拓生
第1 意見の趣旨
 文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会は、平成26年10月21日「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」を発表したが、ここで答申されている、道徳を「特別の教科 道徳」(仮称)として位置付けること、検定教科書を導入すること、子どもの道徳性に対して評価を加えること等の内容は、国家権力による公教育への不当な介入を許し、憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権等を侵害するおそれがあるので、反対である。また、この答申に沿った学校教育法施行規則の改正及び学習指導要領の改訂は行われるべきでなく、現在公表されている各改正・改訂案に反対する。
 第2 意見の理由
 1 中央教育審議会答申の内容
 (1)答申までの経緯
ア 平成25年1月15日閣議決定により設置された教育再生実行会議は、平成25年2月26日、「いじめの問題等への対応について(第一次提言)」において、いじめによる痛ましい事案を繰り返さないためには、子どもをいじめの加害者にも、被害者にも、傍観者にもしない教育を実現する必要があるとして、そのためにまず第一に行うべきこととして、道徳の教科化、道徳の教材の抜本的充実と、指導内容の充実及び効果的指導方法の明確化等を提言した。
イ これを踏まえて、文部科学省(以下「文科省」)は、同年3月26日、「道徳教育の充実に関する懇談会」を設置し、文科省が道徳の副読本として作成した「心のノート」の改定作業を行うとともに(改定された「心のノート」は「私たちの道徳」と名称を変え、平成26年度から全国の小中学校に配布されている。)、現行の道徳教育の改善方策について審議した。同懇談会は、平成25年12月26日、審議結果を「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告書)」にとりまとめ、公表した。同報告書では、現行の道徳教育を肯定的に評価した上で更に充実を図るべきものとし、その方策として、道徳を「特別の教科」として位置付け、学校教育法施行規則や学習指導要領の改訂等に取り組むべきであること、道徳教育の評価方法について検討すべきであること、道徳教育に検定教科書を導入すべきであること等が提案された。
ウ 上記報告書を受けて、文部科学大臣は、平成26年2月17日、中央教育審議会(以下「中教審」)に対し、「道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)」として、教育課程における道徳教育の位置づけや、道徳教育の目標、内容、指導方法、評価等について、上記報告書における提言も踏まえて検討するよう諮問した。
エ これに対して、中教審は、同年10月21日、「道徳に係る教育課程の改善等について(答申)」を答申した(以下「本答申」)。
 (2)本答申の内容本答申の主な内容は以下のとおりである。
① 道徳の時間を「特別の教科 道徳」(仮称)として教育課程に位置づけること現在は正式な教科ではない「道徳の時間」を、「特別の教科 道徳」(仮称)として学校教育法施行規則に位置づけ、併せて学習指導要領に示す目標、内容等についても、より体系的・構造的で明確なものとすることとした。
② 検定教科書を導入すること
「特別の教科 道徳」(仮称)の中心となる教材として、全ての児童生徒に無償給与される検定教科書を導入することが適当であるとし、また、学習指導要領の改訂においては、教科書の著作・編集や検定の実施を念頭に、これまでよりも目標や内容、内容の取扱い等について具体的に示すなどの配慮が求められるとした。
③ 評価を導入すること
「特別の教科 道徳」(仮称)について、指導要録等に示す評価として、数値などによる評価は導入すべきではないとしつつも、現行の道徳教育については十分な評価活動が行われていないとして、児童生徒の学習意欲を促し、また学校や教員の指導改善のためにも、評価についても改善を図る必要があるとした。その他、教員の指導力向上のための方策をとることや、教員免許、大学の教員養成課程の改善の必要性等が答申された。
 2 本答申の問題点
 本答申を受けて、文科省は、平成26年度内に学習指導要領を改定し、教 科書作成の指針となる解説書と教科書検定基準も平成27年夏までに作成、平成30年度にも道徳の教科化を実施する方針を示し、平成27年2月4日には、学校教育法施行規則、学習指導要領の一部改正案等を公表した。しかし、本答申の内容は、以下に述べるとおり、憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権を侵害するおそれがあるもので問題がある。
 (1)道徳の時間を「特別の教科 道徳」(仮称)として教育課程に位置づけることの問題点
ア 上記のとおり、本答申は、「特別の教科 道徳」(仮称)として学校教育法施行規則に位置づけ、学習指導要領についても、目標、内容等について、より体系的・構造的で明確なものとするよう改定すべきとしている。これは、現行の道徳教育を肯定的に評価した上で、さらにこれを充実させようとするものである。
イ しかし、そもそも現行の道徳教育は、国家が特定の価値観を「善きもの」と評価することで、子どもの内心に介入し、国家が一定の価値観を公定し、受け入れることを強制することになるおそれがあるものであり、問題がある。すなわち、現行の道徳教育は、平成18年の教育基本法「改正」により、「豊かな情操と道徳心を培う」こと(同法2条1項)及び「伝統と文化を尊重しそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」こと(同条5項)が定められたことに伴い、平成20年に学習指導要領が改定され、「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の基本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に活かし、豊かな心を持ち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」とされた。そして、学習指導要領の中では、道徳において指導すべき内容が定められており、例えば、中学校の学習指導要領では、「日本人としての自覚をもって国を愛し」、とされている。しかし、自国を愛するかどうか、またどのような内容の愛国心を有し、それをどのように表現するかは、個人の価値観に委ねられるべき事項であり、国家により押し付けられるものであってはならない。上記のような、学習指導要領の定めは、国家が、国を愛することは「正しいこと」「善いこと」であるとの一定の価値観を公定し、その受け入れを強制することによって、個人がどういう価値観を持つかという内心の自由に介入することになりかねない。また、同学習指導要領中の「日本人としての自覚をもって」、「父母、祖父母に敬愛の念を深め…充実した家庭生活を築く」、「教師や学校の人々に敬愛の念を深め、協力してよりよい校風を樹立する」、「友情の尊さを理解して心から信頼できる友達をもち、互いに励まし合い、高め合う」等の内容についても同様であって、自己のアイデンティティの中で国籍に重きを置くのか、自分の父母や祖父母に対しどのような思いを抱くのか、自校の教師等に敬愛の念を持つのか、家庭生活や校風について何を求めるのか、友人の存在についての考え方、友人との間でどのような関係を育むのか、それらは各人の自由に委ねられるべき問題である。これらの内容は、外国籍の子どもや、あるいは親らから虐待を受けている子どもら、不登校やいじめに苦しんでいる子どもらも多数おり、そのような立場からは当然異なった考えがあって然るべきところ、このような指導により疎外感、絶望感を感じる可能性があることへの配慮にも欠けている。
ウ そもそも、学習指導要領において道徳教育の内容としているのは、自 分自身、他の人との関わり、自然や崇高なものとの関わり、集団や社会とのかかわり、といった人の在り方や生き方に関することであるが、何を「善い生き方」、「正しい生き方」とするかは、個々人によって異なるものである。日本国憲法は、「個人の尊厳」を中核として、幸福追求権を保障し、また、思想良心の自由、信教の自由、学習権を保障しており、また、子どもの権利条約も、子どもの成長発達権及び意見表明権を中核となる権利として保障するとともに、思想良心及び宗教の自由を保障し、さらに、「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限まで発達させること」を子どもに対する教育が指向すべきこととしている。これら憲法及び子どもの権利条約が保障する権利は、いずれも、個人の内心、個人が有する価値観や生き方に対し、国家が望ましいと考える一定の価値観をもって介入したり、強制したりすることを禁ずるものである。これら憲法や子どもの権利条約の原理に照らせば、公教育としての道徳教育は、あくまで、子どもたち一人一人が、多様な生き方や人生の在り方があることを前提として、自らの生き方や考え方を探求して自分なりの価値観を確立することにより成長発達し、その自分なりの価値観に従って自らの幸福を追求していくことができるよう、子どもたちが自ら思索を深めていくための素材の提供の場であるべきである。道徳教育の教科化は、上記の趣旨に反するものである。この点、日本弁護士連合会の「新しい学習指導要領の問題点に対する意見書」(平成22年3月18日)においても、学習指導要領に基づく道徳教育が、国家が一方的な観念を子どもに植え付けるものとなりかねず、子どもの思想・良心の自由との抵触を生じさせ、教育に対する「不当な支配」にあたるおそれがあることが指摘されている。また、最高裁判所も、いわゆる旭川学テ事件において、公教育における教育内容への国家の介入は許されない旨判示している(最高裁昭和51年5月21日大法廷判決)。しかし、現行の道徳教育は、前記のとおり、このような危険を有しているものと言わざるを得ない。本答申は、このような現行の道徳教育の根本的な問題を指摘・改善することなく、むしろ肯定的に捉えている点で、まず問題がある。
エ そして、更に、これが「教科化」されることは、学校教育法や学習指導要領による教科内容の拘束力が生じ、また、指導内容が体系化、細分化されて、より一層国家による道徳教育への統制を強めることになるものである。現に、現在公表されている改正学指導要領案においては、道徳教育の目標として、現行の学習指導要領の内容に加え、「人間としての生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」とされており、「道徳科」で教える「道徳性」が「よりよく生きるための基盤」だとした上で、その「道徳科」で教える内容について、現行学習指導要領よりも記載の仕方をより明確にし、また、内容的にも一歩推し進めた内容としている(例えば、「郷土の発展に努める」とされていたものが、「進んで郷土の発展に努めること」と改められていたり、「勤労の尊さ」の部分に、「勤労を通じて社会に貢献すること」が付加されていたり、「より高い目標をめざし、希望と勇気をもって着実にやり抜く強い意志を持つ」とされていたものが、「より高い目標を設定し、その達成を目指し、勇気と希望をもち、困難や失敗を乗り越えて着実にやり遂げること」と結果まで求める内容に改められていたりする)。そして、これらについて、生徒が自らを振り返って成長を実感したり、これからの課題や目標を見つけたりすることができるよう工夫することとされている。このような改正学習指導要領案に示されている「道徳科」の内容は、正に上記で危惧したような、ある価値観を国家が正しいものと定め、それを子どもらに教え、その特定の価値観の修得までも求めるものとなる。なお、改正学習指導要領案中には、「多様な見方や考え方のできる事柄について、特定の見方や考え方に偏った指導を行うことのないようにする」等の記載もあるが、学習指導要領の定める道徳教育の目標、内容自体にもともと上記のとおり特定の価値観が盛り込まれているのであり、既に矛盾があり、同記載によって上記危惧するところを回避することはできない。したがって、道徳の「教科化」は、憲法及び子どもの権利条約が保障する人権を侵害する危険性を高めるものであり、極めて問題である。
 (2)検定教科書を導入することの問題点
 次に、本答申は、「特別の教科 道徳」(仮称)の中心となる教材として検定教科書を導入することとした。もとより検定教科書制度自体、表現の自由や学問の自由、子どもの学 習権を侵害し憲法に適合しないという問題が指摘されているものである が、殊に道徳教育において検定教科書が導入されるということは、検定制度を通じて、国家が推奨する特定の道徳的価値が「善い」もの「正しい」ものとして、明確に示されることを意味するのであり、極めて問題が大きい。現に、本答申は、学習指導要領の改訂においては、教科書の著作・編集や検定の実施を念頭に、これまでよりも目標や内容、内容の取扱い等について具体的に示すなどの配慮が求められるとも述べており、検定制度を通じて、国家が公定する特定の価値観が明示された教科書のみが採用され、教育されることは必至である。このことは、道徳教育を担当する教師の創意工夫の余地を奪うことになる点で教師の教育の自由を侵害する危険があり、また、そのような教育を通じて、子どもたちは、国が定める特定の価値観の受け入れを強制されることになる恐れが強く、子どもの思想良心の自由や学習権を侵害する危険が大きい。なお、この点について、検定教科書の導入に肯定的な立場からは、教科書検定はバランスの取れた内容かどうかを見るためのものであり国が一律に価値観を押し付けるものではないとか、政治的中立性などのバランスへの目配りも必要である等の意見もある。しかし、教科書検定は学習指導要領等を前提として行われるところ、上記に一部例示したとおり、学習指導要領における道徳教育の目標や内容自体に既に特定の価値観が示されているのであるから、教科書検定に合格するためには当該特定の価値観を記載した教科書を作成しなければならず、また、教師は教科書を使用しなければならないから、結果として特定の価値観を「教科書に書かれた正しいもの」として子どもらに押し付けることになることは必至である。特に、平成26年に改定された教科用図書の検定基準、教科用図書検定審査要項では、閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解等がある場合にはそれらに基づいた記述がされていること、教育基本法の目標等に照らして重大な欠陥がある場合を検定不合格要件として明記すること等が新たに基準として付加されており、これによれば、学習指導要領に示された特定の価値観を記載することは避けられない。しかも、政府見解というものは、まさに意見が分かれる事柄に対する一定の見解にすぎないのに、これが教科書に記載されるということはそれが「正しい」という印象を子どもらに与えざるを得ないし、その時々の政治的影響を受けることになり政治的中立性の確保とはむしろ逆の結果を招く。これら改定教科書検定基準等の問題については、同年12月19日付で日弁連も意見を述べているとおりであり、道徳教育に検定教科書を導入することは問題である。
 (3)評価を導入することの問題点
さらに本答申は、現行の道徳教育については十分な評価活動が行われていないとして、「評価」についても改善を図る必要があるとし、実質的に、これまで特に評価がなされていなかった道徳について、評価を導入することを求めている。これは、教科化及び検定教科書の導入と連動して、道徳教育に対する国家による統制を格段と強めるものである。本答申が考える評価の対象は、道徳性の獲得であり、評価を通じて、児童生徒が「自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上」を図ること、また、教員も「道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善に取り組む」ことが期待されるとしている。しかし、前記のとおり、道徳を教科として、体系的、細分化して学習指導要領に定め、その指導のために検定教科書を使用して、これによる道徳性の獲得を評価するとすれば、それは、子どもたちに学習指導要領等に定められた国家が公定する特定の価値観の受け入れを強制し、これと異なる価値観を有する子どもに不利な評価をもたらすことにならざるを得ない。確かに本答申は、数値などによる評価を行うことは不適切であるとしている。しかし、一方で、評価に当たっては、「作文やノート、質問紙、発言や行動の観察、面接など、様々な方法で資料等を収集」し、児童生徒の道徳性を「多面的、継続的に把握し、総合的に評価していく必要性がある」としている。このような評価方法は、子どもの内心や人格そのものを評価の対象とし、それに優劣をつけることになるおそれが大きい。したがって、道徳性を「評価」することの問題は全く払拭されていない。そもそも、前記のとおり、人の生き方や在り方などの内面を問題にしている道徳教育について、これを憲法や子どもの権利条約が保障する権利に抵触せずに「評価」するということはおよそ不可能であって、許されないと考えるべきである。
 (4)小括
 以上のとおり、本答申が示した道徳の教科化、検定教科書の導入、評価の導入は、いずれも、またそれぞれが相まってより一層、道徳教育への国家による統制を強めるものであり、憲法が保障する子どもの幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権を侵害し、個人の尊厳を傷つけ、また子どもの権利条約が保障する成長発達権や意見表明権等を侵害するおそれが大きい。
 3 道徳の教科化等を断行する必要性がない
(1)本答申の内容は、上述した通り憲法に反する恐れが大きく、問題がある上、そもそもこのような教育課程の変更を行う必要性もない。
 (2)前記1(1)に記載したとおり、今回の道徳の教科化等は、元々は第二次安倍内閣に設置された教育再生実行会議による「いじめの問題等への対応について(第一次提言)」において、いじめ問題への対策として必要であるとして提言されたことが始まりであった。ところが、本答申においては、上記提言におけるいじめの問題への対策としての必要性や、いじめを防ぐための道徳教育という視点は消え去っている。改正学習指導要領案においても、わずかに「いじめの防止や安全の確保等にも資することとなるよう留意」と触れられているのみである。もとよりいじめの問題の背景には、社会全体の構造や現在の子どもたちが置かれた教育環境等様々な要因があるのであり、子どもに対し道徳教育を強化することで解決されるものではない。したがって、前記のとおり現行の道徳教育自体に問題がある中で、さらにこれを強化し教育への統制を強めることになる本答申の内容は、前記2のとおり問題が大きい上に、そもそも全く理由がなく必要性を欠くものである。
 (3)また、いじめや不登校の問題等、現在の子どもを取り巻く様々な困難な状況に対しては、道徳の教科化等による統制の強化では対応できない。前記のとおりいじめの問題等の背景には様々な要因があると考えられるが、その一つとして、国連子どもの権利委員会の第3回総合所見でも勧告されているとおり、教育現場での過当競争が子どもを追い詰めていること、過度の競争が、いじめ、精神障害、不登校、中途退学、自殺などを助長している可能性が指摘されている。このことからすれば、いじめ等の問題の解決のためには、学校等が、子どもたちが伸び伸びと成長発達し、学ぶ喜びを実感できるような場所となるよう、教育制度の抜本的な見直しが必要なのであって、道徳の教科化等はそれと逆の方向を志向するものであり、ただでさえ過度な競争と管理の中に置かれている教育現場に対し、より一層国家による統制を強め、人の内面についてまでも競争を持ち込みかねない。そもそも、本答申は、「はじめに」として、「道徳教育は、個人のよりよ い人生の実現はもとより、国家・社会の持続的発展にとっても極めて重要な意義をもっている」などとして、国家のための道徳教育の重要性を強調するが、このような本答申の教育に対する基本的考え方自体が、憲法に相反し、誤りであると言わざるを得ない。教育は国家のための人材を作ることではない。憲法及び子どもの権利条約が保障する権利からすれば、教育の在り方は、1人1人の子どもがその人格、能力を最大限まで発達させ、自由かつ独立の人格として成長することを指向すべきであり、国家の人材育成のために教育を利用するようなことは決して許されない。
 (4)本答申が公表されて以降、道徳の教科化等については、本意見書と同様に国家による価値観の押し付けを危惧して批判し、あるいは慎重な議論を求める意見が新聞社説等において数多く報じられている。ところが、それらの意見にもかかわらず、早々に改正学校教育法施行規則案、改正学習指導要領案が公表されている状況であり、国は世論の声を無視したまま教科化等を断行しようとしていると言わざるを得ない。このような改正の進め方自体に、国家による不当な教育への介入の危険を感じざるを得ない。
 4 まとめ
以上のとおり、本答申が示した道徳の教科化、検定教科書の導入、評価の導入等は、国家が公定する特定の価値観の受け入れを強制することとなる点で憲法及び子どもの権利条約が保障する個人の尊厳、幸福追求権、思想良心の自由、信教の自由、学習権、成長発達権及び意見表明権を侵害するおそれがあるものであり、反対である。したがって、本答申に沿った学校教育法施行規則の改正や学習指導要領の改訂は行われるべきでないから、現在公表されている各改正案・改訂案に反対する。以 上

平成27年03月12日 共謀罪の新設に反対する会長声明
ttp://senben.org/archives/5742
政府は2015年(平成27年)1月14日,犯罪の謀議に加わる行為を処罰する「共謀罪」の創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案について,通常国会への提出を見送る方針を固めた。しかしこれは,集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案の審議を優先するためであり,同法案の国会通過の目途がつけば,共謀罪法案が国会に提出される可能性が高い。最近発生したフランス紙襲撃テロ事件やシリア日本人人質事件を受けて,共謀罪の創設論が早い段階で再燃することも予想される。「共謀罪」とは,犯罪の実行行為がなくとも合意をしたというだけで処罰するものである。しかし,近代刑法の大原則は,犯罪の意思だけでは処罰せず,それが具体的な行為として外部に現れた際に初めて処罰の対象とするものである。準備以前の,合意のみで処罰するという共謀罪の新設は,上記の大原則に反するものである。また,共謀罪の構成要件も,何をもって「共謀」とするのかが全く明確ではない。このような共謀罪が新設・施行された場合は,国民の言論の自由・集会の自由・結社の自由等に対する多大な萎縮効果を及ぼすことは明らかである。実際に,これまで政府により主張された共謀罪の対象は,法定刑が長期4年以上の懲役または禁固にあたる犯罪全てに及び,600を超える共謀罪を新設するもので,市民生活に制約を及ぼすことは疑いなく,上記のような基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれは極めて高い。政府は,テロ組織やマフィアなどの犯罪集団による国際的犯罪に対応するため共謀罪の創設が不可欠であり,テロ組織根絶を目指すFATF(テロ資金根絶を目指す政府間組織「金融活動作業部会」)からも,2000年(平成12年)12月に日本国が署名した国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国連越境組織犯罪防止条約)を批准するための国内法整備を要請されており,そのためにも共謀罪が必要である,と説明してきた。しかし,広範な犯罪類型に関しての一般的な法律の形式での共謀罪立法は必要ない。すでに現行法上,刑法をはじめとする個別の法律において,内乱予備罪,外患誘致陰謀罪,私戦予備罪,殺人予備罪等,テロと関連しうる各種の予備罪が定められており,テロ行為に関しては未遂に至らない予備または陰謀の段階での犯罪を処罰しうるのである。したがって,国連越境組織犯罪防止条約を批准することは現行法制下においても十分に可能なのである。テロ犯罪撲滅の必要性を否定するものではないが,そのために共謀罪を新設する必要性は全くないのである。当会は,これまで2005年(平成17年)7月,同年10月,及び2006年(平成18年)5月にそれぞれ共謀罪に反対する会長声明を発しており,2006年(平成18年)5月の会長声明においては,捜査機関が共謀事実の捜査名目で一般市民の会話を傍受したり,電話や電子メールのやり取りを監視したりする社会の到来に対する危惧を表明している。しかし,現在,通信傍受法についても対象犯罪の拡大や手続の簡略化など,捜査機関の権限強化が図られようとしている。共謀罪と改正通信傍受法が成立することになれば,両者が相まって,平穏な市民生活が脅かされる危険が生じることは必然である。共謀罪は,今後,構成要件に修正を加える等して,法案として国会に提出される可能性が高い。しかし,いかに修正し,必要性を強弁したとしても,上記の通り「共謀罪」は本質的に近代刑法の大原則に反しており,一般市民の基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすものである。よって,当会は,あらためて,この共謀罪の新設に強く反対する。
2015年(平成27)年3月12日仙台弁護士会会長 齋 藤 拓 生

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