爽涼無量
この教育を受けた子達は、社会に出てから、今よりずっと苦労しますよ。何倍にも膨れ上がった“正解と見なす漢字の形”を全部知らなければ、相手の書いた漢字を正確に把握出来ないのですから。
しかも似たような漢字が今でも巨万とあるというのに。
dyna
今回の報道の内容について、文化庁の一次資料をご存じの方は、そのリンクを教えて頂けないでしょうか。
けしからん!と思っていたのですが、調べてみると、それほど目くじらを立てる内容ではないような気がしました。
報道だけを読むと、今までお手本は一つだったのに、複数認めることになった、という内容に感じたのですが、調べた結果、文化庁は、そもそも複数認めていたのを改めて示した、というだけのことだと私は理解しました。
最初は、まだ小さいうちの子供が、近い将来に学校で漢字を習う時のことを想像して、
「そんな曖昧な教え方では困る!まずは基本として正しい漢字を教えるべきだ!
子供の時は基本通りで、大人になってその基本から外れて字形が多様化するのと、子供の時から多様化が許されていて、大人になってもそのまま、とでは、たとえゴールは同じでも、前者の方が良い!」と思っていました。
そこで、文化庁のホームページで、途中段階と思われる下記の資料を見ると、そもそも漢字表の字形は筆写をもとにして作成したことを知りました。
「手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針(仮称)(案)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/shoiinkai/iinkai_21/pdf/shiryo_3.pdf
・手書き文字(筆写)と、と印刷文字との違いが理解されにくくなっている
・昭和23年の当用漢字字体表は,活字字体のもとになる形である
・当用漢字字体表は,印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをたてまえとしている
・ただし、手書き(筆写)の楷書の習慣と一致しない場合があり、これを筆写(かい書)の標準とする際には,必ずしも拘束しないものがある
・その後,昭和56年の常用漢字表ではさらに下記を示した
・筆写の楷書における書き方の習慣を改めようとするものではない
・明朝体の字形と筆写の楷書の字形との間には,いろいろな点で違いがある
これらを具体例を示して解説していました。その解説は、偏った考えには思えず、ある方向に誘導しようという意図も感じませんでした。
専門家が丁寧に議論している印象を受けました。
また下記のページでも同じような説明がされています。(勝手にリンクしています。。。)
http://www.geocities.jp/ki07ji/kireinaji/kyokashotai.html
文部省の学習指導要領(中でも漢字の学年別配当表)で提示されている字体が教科書体
「手書き文字に近い書体を教科書にしよう」ということで教科書体が生まれた。
手書き文字は、点画の接し方や終筆のとめ、はね、払いの方向などは必ずしも教育漢字字体表どおりでなくともよい。
活字と違ってずっと許容範囲が広い。
活字はデザインされた文字ですので、日常私たちが書く手書き文字とは違った部分が出てきます。
つまり、問題は(特に教育現場での)運用にあると感じました。
そもそも手書き文字に似せて作った印刷文字であるのに、その印刷文字が唯一正しいと考え、逆に手書き文字を拘束するような運用です。
上記の文化庁の資料でも、「しかし、手書き文字と印刷文字の字形のいずれかだけが正しいとみなされたり、本来は問題にしなくてよい漢字の形状における細部の差異が正誤の基準とされたりするなどといった状況が生じている」と記載されています。
漢字表の意図を、教師が正しく認識し、生徒にも教えることが大事だと感じました。
ただ、運用の問題といっても、漢字テストの○×の基準が教師によって違う、
ということになりかねませんので、簡単ではないと思いますが…
私自身、国語や教育・書道には全くの門外漢なのですが、長文にて失礼いたしました。 (dyna)
36
お採り上げいただきありがとうございます。
皆様が論じておられるように、文字も長い歴史があり、様々な書体がございます。ですが、これは学校教育に関わる指針となります。
現在はパソコンやスマホ入力が多くなっておりますが、筆記具としては筆ではなく、硬筆(鉛筆・ペン等)が一般的です。そして楷書体はそのような筆記具に対応していると考えます。
昔から日本には「守破離」という言葉がございます。最初に型から入り、そこから個性を発揮してオリジナルを磨いていく考えです。
この「型」が崩れていてはその後の「破」も「離」もありません。
書道の各流派も、それは「破」や「離」の段階のものと私は考えます。
幼少期に全国で同じ「型」を学ぶからこそ、殴り書きになっても崩しても互いに意思疎通ができる状態を維持できるのだと思います。
ですから「型」となる文字を崩す今回の文化庁の指針には疑問を覚えるのです。
前回は勢いで投稿してしまい、理由を記載していませんでしたので改めて投稿いたします。
皆様の投稿で、自分が気づいていないこともご指摘いただきました。大変勉強になりありがたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。
じゃじゃパンダ
みなさん文化的な心配をしていらっしゃいますが、
私は犯罪者を見つけにくくする指針だと思いました。
犯罪捜査で活躍する筆跡鑑定などは、書き手の個性が出る箇所に注目して、誰が書いたものかを判別しています。
その書き手の個性が出る所が、とめ、はね、はらい、などのちょっとした部分です。この部分が全部「とめ」で良いと指導されれば、ほとんどの人は「とめ」で書くことでしょう。そうなれば、個性が現れる場所が少なくなり鑑定がしにくく、筆跡鑑定自体の信用性にも疑問が出てくるでしょう。
契約書など、重要な書類には手書きのサインが必要です。
偽造されやすいものになれば、それだけ犯罪が容易になるということです。遺言書などが偽造されてしまえば、故人の思いも無に帰します。
弁護士や代書屋の悪事が露呈してきた昨今に、この指針。裏に何かあると思います。
グラス
指針案の主旨、読みでは違う字形を許容していることについて
激しい反日活動が行われている現在の状況では、疑問や不信が生じるのも無理からぬことと思います。ただ、「指針案の許容するとは、認めるということであって、指導することとは違う。学校が指導する漢字はこれまで通り、一つの字形、教科書に則った字形。」この点が、誤解されているようです。
指針案は、「漢字(楷書)には、違う字形であっても日本社会で同じ漢字と認識され使用されているものがある。正しい漢字は一つではない。」ということを周知することで今現在起こっているようなトラブルを回避する。
指導する漢字の字形が統一されている教育現場で、指導する字形以外の漢字を子どもが使用した場合の学校、教員の対応について、書き取りテストや入試などいろいろなケースを想定して目安を設ける。それによって、教員(採点者)の判断に委ねられ曖昧で不公平な現状を是正し、採点の公平性を担保することなどを目的としています。ですから、子ども達は「漢字(楷書)には、違う字形であっても日本社会で同じ漢字と認識され使用されているものがある。正しい漢字は一つではない。」という知識だけあれば良いのであって、許容範囲の漢字を全て覚える必要はありません。
☆学校は、漢字の読みについては指導する漢字と違う字形を許容している。
学校は、読書を推奨し図書室を備えていますが、蔵書の書体は教科書と同じではありません。小一から行われる校外学習では、看板、案内図、説明書きなど様々な書体の漢字を読むことになります。高学年ではパソコンも使いますね。明朝体やゴシック体等、印刷文字も書体が違えば同じ漢字でも字形が違いますが、子ども達は大して教えなくても読み取ることが出来ます。
よく目にする漢字は、なんとなく読み書き出来るようになる、あるいは書けなくても大まかな形は覚えるものでしょう。学校が、書く漢字の字形を限定しても、視覚から違う字形が頭に入る環境がある。子ども達が自分にとって覚えやすい書きやすい字形を身に付け普段使うようになることを防ぐことは出来ません。
漢字の楷書は、画数が多くて覚えるのも速く書くのも難しい。書き取りテストは兎も角、制限時間内に長文を書かせる入試の論述まで一つの字形に拘る必要はないように思います。
16分の1アイヌ(二番目の山羊)
◆余命32号にもあるアイヌ問題
スミマセン、今までずっと「二番目の山羊」で投稿していた者です。実は、私の曾祖母がアイヌなのです。協会による国連への事大、「アイヌ女性3割が非識字」に驚愕。私もツイッターで、「あちら側」に絡まれる事が多くなりました。チンタラしていた自分を猛省中です。
解同に関してはクレスト様、有難うございます。
それ以外のちょっとした基本情報を。
アイヌ系の血を引く著名人で、砂澤陣さんがいらっしゃいます。
ブログURLは以下。【後進民族アイヌ】
http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/
最近は更新が止まっているご様子ですが。
画面右横に貼り付けてある動画がおススメです。
アイヌ協会に所属しているのは、協会発表で2700人。
平成18年の全道調査で、アイヌ系は23782人でした。
陣さんによると、協会2700人には、朝鮮名も含まれています。
厄介なのは、通名のような、「成りすまし」では無い事です。
旧土人保護法が廃止され、戸籍からアイヌ系と確認する術は無くなりました。現在、法的には、「協会が認定したアイヌ」が、アイヌ民族になります。アイヌと証明できる公的な身分証明は、協会しか発行できないからです。ですから、金子札幌市議は「アイヌ民族はいない」と発言なさいました。故・中川大臣は「日本は単一民族」と仰いましたし、他にアイヌ利権問題を追究なさっているのは小野寺元道議が有名です。
実は旧土人保護法の撤廃に抵抗していたのは、全アイヌ中1割に過ぎない協会アイヌです。残9割の推進で平成9年に同法廃止。当時から協会は、保護法を隠れ蓑に弱者利権の温床と化していました。そこへ平成20年の国会における先住民決議。つまりは、形を変えた旧土人保護法(協会アイヌ利権)の復活なのです。しかも国際レベルで通用する質の悪さ。今回も国連に出張っての事大です。
で、私は保守活動をしているので今回の件を知っておりますが、協会無関係のアイヌでも、ノンポリだと知らない場合も考えられます。メディアは報道しませんから。
また、保守の中にも、政治学と人類学における語句の用法の違い、つまり「法的なアイヌ民族」と「民族学におけるアイヌ民族」が理解できず、大臣・道議・市議を後ろから撃ってしまった方が居ました。それはアイヌ系においても同じなので、彼等が「アイヌが居ないなんて暴言だ」と腹を立てている場合も、協会アイヌだと断定しないで下さい。残9割を敵に回してしまったら、この問題は解決しません。
※何せ協会アイヌと競り合って、保護法廃止に持ち込んだ人達ですから。潜在的なパワーは有る筈です。(ただ、この勝利で安堵してしまった面も有るのかな、と)
以上、乱文・長文ですみません。
私、落ち着かないと駄目ですね。
最後に。アイヌ関係の情報は、的場光昭氏の著作(展転社刊)が信頼できます。北海道で保守活動をなさっている方です。道内にも、朝鮮人強制連行の碑を建てようとする勢力がおり、この問題を扱った著作も有ります。
香山リカ医師がアイヌ問題に首を突っ込んで来たのは、的場光昭先生がお医者様だったからかも知れません。
テーマ 余命32号 「アイヌ民族を先住民族とする国会決議」について
要望
アイヌ協会の恣意的な認定により、対象者以外の者も行政からの補助を受けられる。過去不正受給を行った者が多数おり、今も続いている。
現在アイヌの方々は日本人であり、同等の権利を有し補助も受けられるのだから、特別な補助はかえって差別を助長する。
政府のアイヌ政策推進会議やアイヌ政策推進作業部会の構成員に、前述の補助金不正受給を行った者がおり、アイヌ関係者に都合の良い政策を作っている。
2020年オリンピック東京大会開催と同時公開の、北海道白老町の象徴空間も利権となっている。
「日本人はアメリカのインディアンやオーストラリアのアボリジニのように、アイヌ民族を虐殺・土地収奪・差別した」と、慰安婦や南京大虐殺の捏造と同様にプロパガンダに使われている。
「アイヌ・琉球は日本の先住民族で、日本に植民地支配され、差別された」というロジックで沖縄独立派と共闘している。日本の左翼NGOが、国連で工作活動している。
日本のアイヌは国連の先住民族にあたらないのに、国会で全く議論されず通過してしまった「アイヌ民族を先住民族とする国会決議」と、それを基に進められているアイヌ政策の見直しを要望する。
.....文化庁の問題はまだコメントができる段階ではない。正直言って、かなり踏み込んでも結論が出るかどうかわからない。現状ではしばらくは後回しだな。
アイヌ問題は、日本人でアイヌがどうのこうのという者はいないはずだ。普通に日本人であろう。これは例のマイノリティ利権だな。これはかなり以前からいわれていたことだ。
組織が乗っ取られていて有事殲滅対象なんていわれているからはっきりとして区別をしていた方がいいだろう。おそらくアイヌもどきが組織を乗っ取っている可能性が高いから何らかのかたちで距離を置いた方がいいだろう。在日や反日勢力がかたづいたら、この問題も正常に戻るだろう。
民主党???のコメント欄に慰安婦が大金稼ぎであることを書きましたが、資料を調べる中で以下の2つも発見したので、追加させていただきます。
以下は、慰安婦が戦場で大金を稼いでいたことを示すものである。
The following indicates that comfort women made much money in the battlefields;
「女のラバウル小唄」『続戦中派の遺言女性版』櫂書房から1979年出版の中で、例えば、吉原で10年暮らした日本人慰安婦の高安やえは、「戦地へ行けば10倍稼げるし・・・・稼いだら内地に帰って商売を始めようと考えてラバウルへ・・・・一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している。
In “The song of Rabaul, Last words of women that lived in the wartime” by Kaisyobou Press published in 1979, for example, a Japanese comfort woman named Yae Takayasu who worked at Red-light district of Yoshiwara for 10 years looked back on her life, and said,“If you go to a battlefield, you can make10 times of money. After making enough money, I’ ll be back to Japan, and will open a shop….so I thought, and went to Rabaul. It was so easy for me to earn 200yen or 300yen at a night, as I limited the time to 5minutes per one person”.
更に、『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』 梨の木舎から1996年出版の本がある。本の中で韓国人慰安婦の文玉珠は、森田万智子のインタビューに以下のように言っている。
Also, there is a book titled,“Myself as a comfort woman for Tate Division deployed in the Burma Theater”by Mun Oku-chu, published by Nashinoki-sya publishing company. In the book, Machiko Morita interviewed a Korean comfort woman named文玉珠, and 文玉珠 said as follows;
※この本は英訳してあるそうです。参照は以下のサイト;https://www.facebook.com/notes/koichi-iida/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E6%88%A6%E7%B7%9A-%E6%A5%AF%E5%B8%AB%E5%9B%A3%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A7%81%E8%AA%9E%E3%82%8A-%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE-%E6%A2%A8%E3%81%AE%E6%9C%A8%E8%88%8E/606052749474399/のサイトに掲載の英訳は、拡散OKとのことなのでコピーさせていただきました。
ビルマのマンダレーでの経験
63ページ
戦地の軍人たちの思いと、私たちの思いは同じだった。妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らわしてあげるよう話をしたものだった。
An experience in Mandalay of Burma
Page 63
The soldiers and we had the same thoughts, that is, we must work hard for the emperor giving up their wives, children and even lives. I did my best to solace them by having conversation with them to ease up their mental burden very diligently based on understanding of their minds.
68ページ
私は一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三ヵ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました。」
ヤマダイチロウは私に向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、閉店休業だ。早速私たち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった。
Page 68
I prayed for safety of Ichiro Yamada. After two or three months, the troop unit to which Yamada belonged returned from the front. Yamada returned in good health. He immediately came to the comfort house. He said “I, private first class soldier Yamada, have just come back from the front”.
Yamada gave a salute to me. We hugged in full of joy. Such a day was so special that the commanding officer Matsumoto allowed the soldiers to enjoy themselves, so the comfort house was full of excitement and the work became inactive. And we, comfort women, contributed 1 yen per woman to hold a big party.
75ページ
私の手もとには少しずつもらったチップが貯まって大きな金額になった。(中略)事務を仕事にしている軍人に、私も貯金できるか尋ねると、もちろんできるという。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることを私は知っていた。貯金することにした。兵隊に頼んで判子も作ってもらい、お金を五百円預けた。わたしの名前の貯金通帳ができあがってっくると、ちゃんと五百円と書いてあった。生まれて初めての貯金だった。大邱で
小さい時から子守や物売りをして、どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった。
Page 75
I saved up the tip amounting to considerable amount of money. (Snip) I asked a clerical staff whether or not I could have a saving account and put the money in the account. His reply was positive. I had known that all the soldiers put their earnings in the saving accounts in the field post office and I decided to put the money in the savings account. I asked a soldier to make a personal seal and put 500 yen in the account. I got my savings passbook and found 500 yen written on the passbook. I became the owner of the savings passbook for the first time in my life. I worked in Teague as a nanny and a street seller from the childhood but I could not rid of poverty even if I worked very hard. I could not believe that I could have so much money in the savings account. A small house in Teague costs 1,000 yen. I could let my mother have an easy life. I was very happy with joy and pride.
The savings passbook became my treasure.
アキャブ(インドに近い島)の回想
93ページ
ヤマダイチロウは一週間に一度くるはずで、その日になると、わたしは朝からウキウキしながら待っていた。反対に、約束の日に何か非常事態でも起きて勤務しなければならなくなったときなど、なにかあったのではないか、敵にやられたのではないか、と心配で何も手がつかない。何度心配したことか。
Reminiscence of Akyab, an island near to India
Page 98
Ichiro Yamada should have come once a week and I used to be in a great mood in that day from the morning. On the contrary, when he had to work on a scheduled holiday when an emergency happened, I was so much concerned wondering if something happened or he was killed by the enemy that I could not begin the job. I got anxious about him so often as it is difficult to remember how often.
ラングーンでのこと
106ページ〜107ページ
ラングーンはこれまでにくらべると自由だった。もちろんまったく自由というわけではないけれど、週に一度か月に二度、許可をもらって外出することができた。人力車に乗って買い物に行くのが楽しみだった。
(中略)ラングーンの市場で買い物をしたことは忘れられない。(中略)宝石店もあった。ビルマは宝石がたくさん出るところなので、ルビーや翡翠が安かった。友達の中には宝石をたくさん集めている人もいた。わたしも一つくらい持っていたほうがいいかと思い、思い切ってダイヤモンドを買った。
107ページ
日本の活動(映画)や内地から来た歌舞伎を観にいったこともあった。歌舞伎は衣装をたくさんつけて、男が女の役をしているのが珍しかった。
わたしはここラングーンでもすぐに売れっ子になった。将校の数も前線とはくらべものにならないくらい多かったので、宴会にたびたび呼ばれた。チップがもらえるのが楽しみで、わたしは喜んでうたいにいったものだ。In Rangoon)
Page 106~107
I could have more freedom in Rangoon compared with the past time. Of course, not completely free but I could go out once a week or twice a month with permission. It was fun to go shopping by rickshaw.
(Nips) I cannot forget the experience of shopping in a market in Rangoon. (Nips) There were jewelry shops. As Burma produced much jewels, ruby and jade were not expensive. One of my friends collected much jewels. I thought I had better have a jewel and went and bought a diamond.
Page 107
I went out to see Japanese movies and Kabuki play of which players came from the mainland of Japan. It was uncommon for me to see the players putting on many costumes and the male players portraying women’s role.
I became a popular woman in Rangoon too. The numbers of officers were much more than those near the front, so, I was often invited to parties. I was delighted with invitation to parties where I sang songs expecting much tips.
サイゴンにて
115ページ〜118ページ
二カ月ほどかかって帰国許可がでた。(中略)すぐにタイを通ってサイゴンに向かうことになった。船はサイゴンからでるのだそうだ。(中略)するとツバメがいった。「わたしも今朝夢をみたの。かあさんが病気で血を吐いていた。不吉なことが起きそうだから、私も朝鮮に帰るのをやめる」ヒロコとキファとヒフミも「それじゃ、わたしもやめる」と賛成した。(中略)帰国の許可がおりたのなら、帰らなければならなくなっていた。それは命令なのだった。帰りたくないのなら逃げるしか方法はなかったのだ。
In Saigon
Page 115~118
It took two months to get permission to return home. (Nips) It was decided to go to Saigon via Thailand. The ship was to depart from Saigon. (Nips) Then Tsubame said “I had a nightmare in the morning about my mother vomiting up blood. I am afraid that something unlucky will happen, so I will not return to Korea.” Hiroko, Kifa and Hifumi agreed with Tsubame saying “I will not return too.” (Nips) We had to go back once the permission to return to the home country is issued. It was an order. Only remaining way for someone who didn’t like to return was to run away.
120ページ
日本の軍人が出入りしているキャバレーに入った。海軍のパイロットが数人いて(中略)「どうしてこんなところにいるの」と聞く。「朝鮮に帰りたくないので、ラングーンにまた戻りたいのですが、証明書を書いてもらうにはどうすればいいでしょうか」と事情を話してたのんでみた。「自分たちにはできないけれど、司令部に行けば書いてもらえるだろう。そこを紹介してあげるから、しばらく遊んでいきなさい。」パイロットたちは御馳走してくれた。
Page 120
When I went to a cabaret where Japanese military men had often visited, some navy pilots were there (Nips) some of them asked me “why do you still stay here? I replied “I still stay here because I don’t want to go back and want to return to Rangoon.” I asked them “How can I get the certificate and can you help me?” They replied “We cannot do it but the headquarters may be able to issue the certificate. We can introduce you to the headquarters. Would you enjoy yourself here for a while?” The pilots gave a dinner for me.
121ページ
ワニ革のハンドバックとハイヒールに緑のレインコート。こんなおしゃれな恰好でサイゴンの街を闊歩した。だれがみたって、私を慰安婦だとは思わなかっただろう。いまも思い出してはなつかしく、得意になってしまう。
Page 121
I put on a pair of high heel shoes and a green raincoat and carried an alligator leather handbag. I swaggered about in a fashionable dress. No one could guess that I was a comfort woman. It is my happy memory and I felt pride.
ラングーンにて
123ページ
ラングーンはやはり大きくてきれいで、いい街だった。
軍人が自転車に乗ってやってきた。そして「ヨシコは乗れるか」と聞く。「乗れない」と答えると「教えてやろう」という。よろこんで教えてもらうことにした。(中略)私は緑のレインコートを着て、ラングーンの街をスイスイ走った。女で自転車に乗っている人などだれもいなかったので、通りをあるく人たちはみな、わたしを振り返って見ていた。ラングーンの街にでかけることは楽しみだった。わたしは、ビルマ語と朝鮮語と日本語を使って話した。買い物することくらいなら言葉で不自由することはなかった。
In Rangoon
Page 123
Rangoon was a big and beautiful city as expected. A military person came on bicycle and asked me “Hi! Yoshiko can you ride a bicycle?” I replied “No, I can’t.” He asked “Would you like to learn the riding?” I decided to learn with pleasure. (Nips) I rode it smoothly through the town of Rangoon. I didn’t see any woman on bicycle. Passersby on the street looked back on me. It was fun for me to go to the town of Rangoon. I talked with people in Burmese, Japanese and Korean. I didn’t experience any difficulty in conversation for shopping.
126ページ
酔っぱらって切りかかって来た兵長を逆に殺した。(中略)日本軍の軍法会議で正当防衛が認められて無罪となった。(中略)わたしの無罪に多くの日本人の軍人たちも喜んでくれた。
Page 126
I killed a non-commissioned officer who had drunken and tried to put me to the sword.
(Nips) I won acquittal as legitimate self-defense and many military men were pleased with the court decision of innocence.
137ページ
アユタヤの病院にいた時は母に送金もした。(中略)貯金から下ろして5000円送金した。
係の兵隊に頼むと「貯金があるなら全部送ったほうがよい」といった。私は「あとのお金は朝鮮に帰ってからおろすからいいです」と答えておくらなかった。後にあと6000円程度残っていたはずと言っている。(1992年3月31日付フクニチ新聞)
Page 137
I sent money to my mother when I was in a hospital in Ayutthaya. I draw down 5,000 yen from the saving account and send that much money. When I asked a soldier in charge of the money transfer the transfer of money, he recommended me to transfer the total amount if I had more in the account. I didn’t transfer more replying to him that I decided not to transfer more and would transfer it when I go back to Korea. Afterwards, she said that she still had 6,000 yen in the account. (The Fukunichi dated Mar. 31, 1992)
文玉珠は、敗戦の混乱の中、彼女は預金通帳を紛失した。平成4年(1992年)に日本の郵便局を訪れ、貯金の原簿が見つかった。残高は26,145円で、貯金の返還を要求して裁判を起こした。しかし、昭和40年に預金は失効したので、敗訴した。当時の26145円は現在の貨幣価値で約1億円である!
文玉珠lost her savings passbook in the mess of defeat. Later, she visited the post office in Japan, and the original register of her savings was found.
Balance account was 26145 yen, and she brought a suit against Japan, and claimed for refund of the postal savings in the wartime. But her postal savings expired in 1965, so she lost the suit. The value of the then 26145yen is about 100 million yen now!
連投ごめんなさい>< 1992年が抜けてしまったので修正です;;
文玉珠は、敗戦の混乱の中、彼女は預金通帳を紛失した。平成4年(1992年)に日本の郵便局を訪れ、貯金の原簿が見つかった。残高は26,145円で、貯金の返還を要求して裁判を起こした。しかし、昭和40年に預金は失効したので、敗訴した。当時の26145円は現在の貨幣価値で約1億円である!
文玉珠lost her savings passbook in the mess of defeat. Later, she visited the post office in Japan in 1992, and the original register of her savings was found.
Balance account was 26145 yen, and she brought a suit against Japan, and claimed for refund of the postal savings in the wartime. But her postal savings expired in 1965, so she lost the suit. The value of the then 26145yen is about 100 million yen now!
私の英文掲載についての意見です・・・。民主党野田政権時、韓国に謝罪金を払う事に合意し、韓国は日本から賠償金10兆円をとろうとしましたが、金額が大きくてこじれた一件がありました。韓国は歴史的真実はどうでもよく、謝罪金の名目でなら日本から大金が取れると考えていると思います。
日本と一対一で対峙しても巨額の賠償金を払ってもらえないので、韓国は日本を国際社会で孤立させ、国際世論が加害者日本が被害者韓国に賠償金を払うよう世界から、特に日本が何でもいう事を聞くと思われている米国から圧力をかけさせ、日本に金を払わせる作戦を展開していると思います。
韓国が不利な歴史的事実を隠ぺいしたがるのは、慰安婦は売春婦という証拠になる「朝鮮人女衒の日記」を、発見者の安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授(この方は慰安婦は売春婦というご意見)からとりあげたこと、女衒の仕事が書かれている8年分のページが破られていることでわかると思います。
韓国は嘘を平気で拡散し、日本人の残虐性が誇張されればされるほど、国際社会から同情を買って賠償金を払えと圧力をかけてもらえると企んでいると思います。慰安婦であろうと強制連行であろうと、金になれば理由は何でもよく、本当に女性の人権なんて考えていないと思います。
日本も今からでもいいので、国際社会に向かって沈黙を破り、きちんと事実を伝えて行けばいいと思うのですが、日本語で国内向けに言っても世界には通じません。日本だって遅まきながら、国際社会に事実をしっかり発信して流れをかえていけばいいと思うので、それには多少間違っていても英語で発信が大事かなと思う次第です。外務省はいい仕事しないからね(><)色々書いてごめんなさい・・。
返信
漢字の多様性について
「別に大丈夫じゃないか、目くじら立てすぎじゃないか」
という意見も多いようです。
私もこの件、判断がつかず様子見しておりましたが、
先日「ひるおび」という番組でこの件が解説されており、その内容を見てダメだと思いました。
解説者は新聞をもとに話しておりましたが、その中で挙げられた例が
保という漢字でした。
「口の下の木がホになっていてもいい。」と言うのです。
どんな流派の書道を習っていようと、どんなクセのある漢字を書く人であろうと、
口の下がホではないことは間違いなく一致しているはずです。
先生が
「口の下の木の両方のはらいがくっついていなくて、ホのような形になっていても、それは一応認めますが、ちゃんと木を書くつもりで書いてくださいね。」
と説明すればいいですが、ひるおびの解説者のように
ホでも大丈夫と言ってしまったら、それは全く別物です。
なので、文化庁の変更自体は日本人から見て「問題ないか」と思わせるような内容でも、
左翼・在日教師の裁量一つでどうにでもなる漢字文化破壊の武器を与えてしまったのではないかと思いました。
左翼・在日が一掃されれば問題は減りますが、それまでは親御さんの厳しい監視が必要かもしれません。
また、提案としては、
自分で子供に、あるいは学校に要望して「漢字の成り立ち」をもっとしっかり教えるのはいかがでしょうか。
漢字の成り立ちは大人でも興味深く感じます。
子供に漢字に対する興味を掻き立てるのにこれほど良い「教材」はないと思いますし、成り立ちなら流派も手書き文字・印刷文字も関係ないので問題ないと思うのですが、いかがでしょうか?
公取委員長が押し紙の禁止と発見した場合の措置について明言・朝日新聞の純資産も全部ぶっ飛ぶ!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6135.html#comment
>公正取引委員会が本気で動いてくれる事を願ってやみません。
朝日新聞に対する集団訴訟にも有利にはたらくのでは?
アイヌ問題と言えば、
金時鐘(在日朝鮮人の詩人)と言う人が、先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務める。
と、Wikipediaにありますが、この辺、詳しい方おられませんかね?。
ここをご覧の皆様の中にも、「鳥取ループ」という名前をご存じの方がおられるでしょう(現在は示現舎)。余命の活動とは直接の関わりが無い、被差別部落関係をメインに扱っておられる方なのですが、その中にもちょくちょく在日の話が出てきており、やはり利権団体としてのつながりを感じさせられます。
そして最近はアイヌ関係の取材として自ら北海道へ行き、アイヌの集落跡や資料館、道庁への問い合わせ等、なかなか興味深い内容となっていますので、ご参考までに読んでみてはいかがでしょうか。「示現舎」で検索してください。
事実=ファクトとして
日本国民たるアイヌの方々が進学や就職や生活で差別されているのなら是正する必要があるが、「差別」を飯の種にしている輩がいるようですな
まさに不逞の輩
北海道に住んでますが、知っているアイヌと自称する人は一名ですが、ミスや間違ったことを指摘すると「アイヌだから差別された」という趣旨のことを言うのが口癖でしたね。
さらに、北海道で聡明な人は、北海道アイヌ協会とかかわりたくないという人がほとんどです(だから結婚に反対する人もいるわけで)。現状では同和と何も変わりませんから。
そうそう、アイヌ問題については、産経のiRONNAで「小林よしのり×香山リカ アイヌと差別をめぐる対決対談」と題した記事が出てますね。元記事は正論ですが、香山氏はご自身が北海道アイヌ協会所属の人と結婚したらアイヌ民族を名乗れるということを隠してますね、意図的か騙されているのかは知りませんが。現実問題、アイヌの血を引いてても北海道アイヌ協会所属に所属していない人は所属している人よりも多かったはずですが、アイヌと名乗っている人はまずいませんし、名乗ると色々ありそうです(アイヌ新法も反対してた人が多かったはずなので)。
最後に、道新がかばっているから問題になっていませんが、札幌では上田前札幌市長は疑惑のデパートとして有名です。アイヌ民族はいない発言が発端のアイヌ官製談合事件は上田氏が市長になった年から始まっていて、関係する民間側は上田氏と縁が深い出版社です。この辺もiRONNAの「なぜ私はあのツイートを発信したのか」が詳しいです。なにしろ、その問題の火付け人が書いた記事ですから。
鑑定メール事案としての案
区別を明確にする。
中国の歴史にもあるように、漢民族以外は虐殺の歴史と、現在でもウィグル地区では漢民族以外は非常に差別虐殺が行われています。
同じく南北朝鮮でも、異常なほどの民族意識で他民族への差別が横行しております。
これは海外に行けばよくわかります。中国人地区や朝鮮人地区など、中国人と朝鮮人が、その国の国籍を取ったとしても、その国に同化せず極端な民族意識の元行動しています。
日本では、それがとても極端に行われています。
外交であれば、朝鮮系中国系が、韓国中国事案にたずさわり、配慮と言う名の優遇を行っています。これは一般庶民からの目から見ても明らかです。
——————————————————————–
ここで提案です。
公職・行政・司法にかかわる方は、中国系・朝鮮系などを明確にし、それにかかわる事案にはかかわらせない、配慮が必要となってきます。かかわらせると、いらぬ民族意識を出してしまう事もあり不正など犯罪が行われる可能性がありますので、それを防止するための配慮が必要です。
司法にも言える事です。裁判官が朝鮮系中国系ですと、犯罪者がそうであれば判決に手心が加えられるのを防止するためです。
行政であれば、生活保護の支給にも関係してくるのはお判りでしょう。
明確に、ネームプレートで色分けして、そういうトラブルや不正にかかわらせない配慮を、日本人がするべきです。これが本当の日本人の配慮という物です。
そういう観点から、公職・行政・司法にかかわる方は、出目を明確にして不正無き仕事をしていただくために、系列明示法(中国系か?朝鮮系か?)なるものを法制化するのはいかがでしょうか?
もちろん国会議員も同様です。
——————————————————————–
ここまで。
公職が区別されれば、各種媒体も区別せざるえないでしょう。
高市総務大臣の停波発言は法律に沿った発言にもかかわらず朝鮮政党に
取っては命取りなのでしょうか必死に食い下がる所が身元がバレバレなのが
分からないとはお笑いです。
暴力団の手入れも急速に増加したように感じます。
伊勢志摩でのサミットのための警察や自衛隊のテロ対策訓練も報道されてい
ますが当然ISなどを対象にしていますが中身は暴力団や在日に対しての警告ですね。
野党の統合も追い詰められた結果の発露なのでしょう。
日本政府も朝鮮半島、在日、反日勢力に対して明確に対抗姿勢を示すようになってきました。
慰安婦問題は不可逆的な解決と国連の人権委員会での反論。
次は竹島問題を国際司法裁判所に提訴してはいかがでしょうか。
当然解決には時間がかかる上、在韓日本人への警告になり帰国を促す事に
なるのではないでしょうか。
以前、韓国が対馬への攻撃を進めている事を余命 翁様の記事で知りました。
明らかに日本への侵略をすすめているのでしょう。
前の李明博大統領が民主党が政権を取るなり日本征服発言には驚きました。
そして、南北統一の費用は日本に出させる全て出させる、日本の国民は何も
知らないと演壇でぶち上げていました。
一国の大統領が隣国を征服したなどと言う発言は韓国と言う国家の異常性を
感じます。
また、驚きなのは李明博大統領の発言を日本のメディアは隠すようにこそこそと報道した切りでした。
まさに報道規制がかかったようです。
朝鮮半島は敵国の位置付けになり、日本のメディアはその手先として明確になりました。
まずは在日、反日勢力(帰化人含む)の殲滅が急がれます。
皆さんは靖国神社や,各地方にある護国神社にある英霊の残された筆記を読まれたことはあるでしょうか。また,博物館等にある古文や書は如何ですか?
残念ながら私も多くは読めません。それは現在の「活字体」に限定された文化伝承の断絶とも言えるべき教育問題の一つの結果です。
万葉仮名としても見られるように現在のひらがなが成立するまでは多くの異字体が日常的に使われていたわけです。それを限定してしまい,最近の小中学校で習う活字体以外は間違いとするのは,実際には日本国の長い歴史に関する文化の切り捨て(過去の記録を見られなくする簡体字化による愚民化と同等)とも言えます。
私自身,祖母から教えられた漢字(旧字体?)を小学校の試験で書きましたらバツを頂きました。
どうぞ,書道関係の書籍を参照下さい。本ブログを見ておられる皆さんは,自分自身で資料調査をされることが素養であると思っております。
「私は犯罪者を見つけにくくする指針だと思いました。」という見解もあるようですが,さて,他方では「過去の文献を読めなくする事を防ぐ」という側面については如何でしょうか。
捏造文化国家とは異なり,本国は古より文章による記録と維持が行われてきました。しかしながら二千六百年以上を数える文化ですから,変遷並びに整理整頓はあります。ただしこの際に,整頓以前の筆記は間違いであるといったら,それこそ歴史修正でしょう。
反日だという脊髄反射では無く,この世界的にも長期にわたって継続している日本文化に関心を寄せる契機として,「書」について調べてみるのは如何でしょうか。
文化庁の指針案、なぜ今か。安倍政権が進めている政策の中で、近々に問題となる事案が二つあります。
*人名表記 マイナンバーと結びつく戸籍の完全電算化によって、戸籍の人名表記が全て印字体になり、手書きでしか表記できない人名については字形の違う同じ漢字に置き換え登録している。
*記述式の導入 大学入試改革でセンター試験の後継では、マークシート方式と記述式の併用に変える。
今年の7月、マイナンバーと戸籍業務を結び付け、戸籍証明書を本籍地以外でも取得可能とする予定。印字体に無い漢字は、字形の違う同じ漢字に便宜上置き換えるだけということが認知されていないが為に、混乱が予想される。戸籍の電子化電算化はそれ以前から進められていて、トラブルが多いことから、人名表記問題として関係業界では有名。
大学入試改革による新制度の開始は2020年度からで、昨秋記述式の導入の検討を公表。先日、記述式は国、数、用語を問う問題ではなく、長文で答える問題にすることを発表した。長文で答える問題では、正答が一つではない。このことから、採点の公平性を担保するには、漢字の採点を統一する必要性が生じる。許容範囲とする漢字の使用を認めるか否か、採点に多くの人手を要しても漢字において統一した採点が行えるかがまず問題になる。
記述式の導入は、知識を問う問題(暗記で対応出来る問題)だけでなく、思考力や表現力を試す問題の重要性からです。表現力つまり漢字力、語彙力、文章力も問うという話。大学入試改革もまた日本再生の為の政策だと考えます。
現在のセンター試験は、マークシート方式の為、日本語を書くことが苦手な学生、それこそ漢字が書けない学生でも高得点が取れます。また、センター試験の得点だけで合否を決める私大のセンター利用では、外国語の受験科目、英語、仏語、独語、中国語、韓国語のどれかを得意としている人の方が、難関私大に入りやすい状況があります。韓国語は難度が低い為有利、という話だけではありません。センターの得点自体は国語と外国語共に200点満点ですが。大学は、学部学科によって科目の配点を変えています。例えば、某有名大学の国際政治学科のセンター利用は3科目計400点満点で、国語は100点に換算、外国語はそのまま200点。英語を受験した人は50点満点のリスニングと合わせた250点を200点に換算。日本の受験生の大半は英語で受験しますが、ネイティヴの発音で授業が行われていない為、問題ではなく聞き取りに難がある。高得点が取りにくい。留学経験者や高校で英語専科に在籍している人が有利になります。慰安婦問題では、英語の読み書きが得意な日本人を多数育て、国連など国際機関で働く日本人を増やすことの重要性を改めて感じましたが。日本語、漢字を守るなら、大学入試の新制度で、記述式は必須でしょう。となると、センター入試の後継の大枠を決める今年度中に指針案をまとめなければならなかったと思われます。
指針案では、字形が違う同じ漢字、手書き文字と印字体の相違など許容範囲を書籍化するという話。書籍は必要だと思います。戸籍が電算化して、正式な氏名を証明する筈の戸籍が正式な表記ではない場合、正式な氏名を証明するものが必要になってきますから。
戸籍の電算化に伴う人名の漢字の置き換えは、自治体が対象者にその旨通知しています。また、戸籍の表記変更に合わせて住民票の記載も変更され、そのことも合わせて通知に明記されます。ただ、本人が分かっていても受け付ける側が認知していないとトラブルになるでしょう。戸籍を添付して、何かを申請する場合、申請書に正式な氏名を書くと、戸籍の氏名の表記とは違うのですから。
指針案では、戸籍窓口で実際にあったトラブルの事例を挙げています。「令」は印刷の文字では最後が縦に長いですが、手書きでは斜めに短く書きますよね。「令」という漢字が氏名に含まれる人が申請書に手書きの「令」を書いたところ、戸籍の印刷文字の「令」とは字形が違うことから違う漢字と判断され、印刷文字と同じに書くよう求められたという話です。鈴など幾つかの漢字にも「令」が含まれ、「令」の印刷文字と手書き文字の違いから受け付けなかったケースは他にもあるようで、ネットでも、別の事例を読みました。このケースは、同じ漢字の印刷と手書きの違いなので、窓口の対応は誤りです。電算化に伴い、漢字の置き換えがあること、印刷文字と手書き文字に違いがあることは、指導されている筈ですが。何かあった時に責任が取れないからと、役所によっては、手書きと印刷の差異に関係なく細部まで同じでないと受け付けないよう取り決めているのか。漢字の置き換え、印刷文字と手書き文字の相違を全て把握出来ないことによるのか。銀行はサービスが顧客獲得に影響する為か、一律の対応をするよう徹底していますが、法務局や郵便局も対応がまちまち。指針案では、文字に違いがあっても同じ漢字であることを解説する(証明する?)参考資料があればという要望を紹介しており、全く同感です。私も印刷文字とは明確な違いがある漢字を名字に含みます。本籍地の電算化が遅かった為、 まだ電算化後の戸籍証明を使用した事はありませんが。私の氏名と同じ表記の公的書類は原戸籍だけになった訳で一抹の不安を感じます。
戸籍を含め、官民どちらも電算化が進み
、印刷の文字が主流となった今、正しい漢字は一つ、戸籍の表記は正しいという認識が広まれば、印刷の表記が正式な氏名と認識され、手書きの漢字の表記は社会で受け入れなくなるのではないかという心配は無用でしょうか。
入試の記述式で、漢字の字形は一つ、許容範囲は認めないと厳しい条件を課そうとすれば、記述式は導入は出来ません。人間の手による文字に多少の違いが生じるのは当たり前ですから。漢字は情報の伝達、保存の道具で、社会で同じ漢字と認識され他者が正しく読み取れるなら、字形の多少の差異は本来問題にはならない筈です。学校の指導で「木」の縦画はトメですが、ハネをバツとした場合、世間がそれを納得するかどうか。漢字の採点の基準は、社会の認識とかけ離れないことも大事だと思います。そして、
記述式を導入するなら、採点の公平性を担保する為に、どの字形は丸になるのか、どの字形はバツなのか、きちんとした根拠に基づいて決めること。その内容を採点者に徹底するだけでなく、受験者にも周知するのが望ましいでしょう。となると、やはり許容範囲の設定と書籍化は必要だと思います。
余命様
本稿に取り上げていただきありがとうございました。今学校では、授業や試験で思考力を問題の割合を増やしており、最初のコメントは、それを念頭に置いたものでした。しかし、指針案を読むと戸籍の表記、入試の記述式導入を意識しているように感じました。タイミングも合っています。ご一考いただければ幸いです。
余名様、取り上げて下さり、感謝いたします。確かに。協会には「もどき」が多く存在するものの、実際にアイヌの血を引いている人間も所属しています。ですが、言ってしまえば、彼らは左翼系団体所属の反日日本人に過ぎません。だからこそ、先住民決議を必要としたのでしょうが(国連で先住民虐殺だ!と被害者を装う為)、有事に際してそんな事は誰も気に止めません。リストを応酬して朝鮮名・或いは戸籍を再確認すれば、一部のアイヌが非アイヌを連れ込んでいた事、明白となります。少し落ち着きました。ありがとうございます。今後は拙ブログで少しずつでも基本的なアイヌ知識をアップして行きます。
また、もこもこ様、示現舎さんの件もありがとうございます。鳥取ループ氏の最新記事を一部。長いですが。現在、探訪記は第六回まで進んでいます。
(一部引用)
道庁に「アイヌはどこにいますか?」と聞いても、やはり言われてしまうのは、アイヌの伝統的な集落は現存していないということだ。ただ、戸籍の問題に関しては少し答えが違っていた。戸籍に「アイヌ」とか「旧土人」といった直接的な書き方はされていないが、例えばカタカナで書かれている「アイヌっぽい名前」の先祖が存在することで判断できるというのだ。
しかし、直接的に判断するのは北海道アイヌ協会であって、行政ではない。あくまで協会はそのような方法で認定しているのだろうということだ。個人がアイヌであるかどうかを判断する必要があるのは、例えば進学奨励金のような、個人給付的な事業を行う場合で、これは税金の使い方に直結する。
それでは、協会の判断が間違っていた場合は、どうなのか。そもそも。行政には正しいかどうか調査することすら出来ないのではないか。この点について、道の担当者はこう話す。「悪いことはしないとは思うのですが…推薦書が提出された方について、いちいち我々がチェックするということはしていないです」。では、逆に明らかにアイヌである人を、アイヌ協会が認定をしなかった場合に、道庁が出てきて「いえ、この人は確かにアイヌだ」と認定することが出来るのかというと、「我々がそういったことはしないです」ということだ。
行政側としては、アイヌの認定は全くアイヌ協会に丸投げしている状態だ。
※(補足)現に、砂澤陣氏は、血筋が確かであるにも関わらず、会計面の不正を告発したところ、協会を除名されています(引用者)
「アイヌ差別があると考えるか?」筆者のこの質問に対しては、
「昔より減ってきているが、道内のアイヌを対象とした実態調査では今でも差別があると回答する人がいる。進学等の面でも一般と格差があると考えている」という答えである。しかし、調査に関しては、そもそも「どのように調査の対象を決めるか」ということが課題なのだという。北海道から出て行った人は調査の対象にならないし、北海道内でさえ、全てのアイヌを網羅した調査は不可能だ。
筆者の考えでは、誰かをアイヌと認定することを前提とした政策は、既に相当の無理が生じていると思う。
例えば、個人給付的事業については行政はアイヌ協会に丸投げをしているのが実態である。アイヌ協会は一民間団体にすぎないので、不正があっとしても調査することは難しい。特に「アイヌの認定」の問題に関しては、仮に認定を間違ったとしても、間違っているという証拠を示す手段がない。それどころか、あからさまに間違った認定が行われたとしても、いったい何の罪に問えるのか定かではない。「アイヌでもないのに、アイヌを騙って公金を詐取した」のだとしても、「アイヌを騙った」と認定できるのはアイヌ協会だけなのだから、警察や検察が「こいつはアイヌでもないのにアイヌを騙った」という証拠を示して詐欺として立件するというのは、非常に想像しにくい。
実態調査に関しても、そもそも調査対象の選び方についての問題が全く解決されていない。北海道にはアイヌを先祖に持つ人が2万人以上いると言われているが、アイヌ協会の会員はその1割程度である。仮にアイヌ協会の会員を調査対象としても、それがアイヌ全体の実態を反映しているとはとても考えられない。例えるなら、朝鮮総連や民団の会員を対象として実態調査を行ったとしても、それが全ての在日コリアンの実態を反映しているとは言えないのと同じである。
(引用ここまで)
※全文はこちら ⇒
http://jigensha.info/2016/02/24/ainu-6/
◆示現舎HP
http://jigensha.info/