1.「一己(いっこ)の労を軽んずるに非(あら)ざるより
は寧(いずく)んぞ兆民の安きを致すを得ん」
「やるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできないよ」と教えています。
自分の苦労を嫌がるような人、自分の不利益を嫌がる人は、日本のために事を成せるわけがない、ということです。
志を持つのであれば、それを成し遂げるための相当の覚悟が必要です。
また、骨身を惜しまず人のために尽くす、その姿に人は真心を感じ、心を動かされるのではないでしょうか。
世のため人のために、ひた押しに継続する努力を惜しまない。それが大事を成すことにつながるのでしょう。
2.「勝敗は常なり、少挫折を以て其の志を変ずべからず」
「勝ちも負けも世の中の常である。多少の挫折で志を簡単に変えるべきではない」と教えています。
不撓不屈、夷険一節、堅忍不抜、志操堅固、初志貫徹など、人生にはいろいろなことがあって、良い時も悪い時もありますが、どんな時でも「志」を貫くことが大切ですね。
志や信念や日本国を思う強い思いは、強権にも屈しないのです。
志は受け継がれていくものでもあります。一時の挫折で投げ出すものではないのです。
3.「士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく、行動であって学識
ではない」
「士(さむらい)として目指すべきは、徳の高い人物であって、知識があり才能がある人物ではない。同様に、行動できる人物であって、学識を振りかざす人物ではない」と教えています。
では、徳とは何でしょうか。
日本国語大辞典には「道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。また、その結果として言語・行動に現れ、他に影響、感化をおよぼす力」と記載されています。
自分の目の前に困っている人がいたり、危険にさらされている人がいたら即座に手を差し伸べたり助けたりするのではないでしょうか。そこには、周りの目を気にしたりだとか、人から褒められようだとか、社会的評価を意識するなどの損得勘定が働く余地はありません。内面から主体的に生じる心によるものです。自分の利益ではなく他人の利益のための行動です。
松陰先生は知識や学識を低く評価しているのではなく、むしろ、知識や学識を語るだけでなく、世や人のために自分ができることを知り、実践しなさいと教えているのだと思います。
4.「世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体
が滅んでも魂が残っている者がいる。心が死んでしまえば生きていて
も仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。」
とても深い言葉です。
「自分が何者であるのか、生きる目標もしくは目的は何なのかの探求さえ行わず、ただ漫然と生きているのは、『生きながら心の死んでいる者』であると言える。逆に、己の為すべきことを貫徹して死んでも『体は滅んでしまったが、魂は残っている者』であると言える。後者には生きた意味があるのだ」と教えています。
「ロッキー」という映画をご覧になった方は多いかと思います。圧倒的不利と思われる試合に、果敢に挑んだ無名のボクサー、ロッキー。彼が決意したことは勝つことではなく、最後のゴングが鳴っても立ち続けることでした。この映画を観た多くの方は、彼の勇気ある決意と、ボロボロになっても最後まで立ち続ける姿に心を動かされたのではないでしょうか。自分の意志を貫きとおしたロッキーの姿は、人々に感銘を与えたのです。
きっとロッキーの姿に影響を受けた方も多いでしょう。
彼の魂はいつまでも人々の心に残っているのだと思います。
5.「志を立ててもって万事の源となす」
「すべての実践は、『志』すなわち世や人のために何をすれば役に立つのかと考え、心に思い決めた目的や目標を持つことから始まる」と教えています。
目標を持つことで人は実行することができます。目標は原動力となるのです。
松陰先生は、何より実践を重んじています。「実践を第一とし、知ることは手段であって目的ではない」と考えていました。
そして、志を立ててこそ実践でき、実践してこそ大事を成すことができるのです。
自分は何を目指し、どう生きるのか、何を為そうとしているのか、もう一度見つめ直すのも重要なことだと思います。
(追記)
解釈は人それぞれですが、日本人は「大切なこと」を共有しています。
「大義を重んじ」「私欲を捨て」「志を持ち」「至誠を尽くし」「自分を信じて」「決してあきらめない」ことが、日本人として有意義な人生をまっとうする、と松陰先生は教えてくれているのではないでしょうか。