私が懲戒請求を行うに至った理由
私は雪深い地方に生まれ育ち今も在住する、家族の世話と子育て中心の毎日を送る普通の専業主婦です。高学歴でもありませんし、地元の中小企業での勤務経験があるだけで、エリートと呼ばれる職業に就いたこともございません。
地方でごく平凡な生活を送る私が懲戒請求をしようと思った理由について、マスコミや原告弁護士の皆さんの一方的な報道や情報発信では正確に伝わることが無いと判断いたしましたので、このたび私自身の言葉でその理由と思いを語ることに致しました。
私は平成21年の春に子を出産しました。出産の直前から、北朝鮮の人工衛星名目の弾道ミサイル発射実験のニュースが流れ、パトリオットミサイルの配備等、静かな地方ににわかに危機に対応する慌ただしい気配が立ち込めました。そして北朝鮮では発射実験が実行されました。
数か月後、私は慣れない子育てに悪戦苦闘しながら、子の将来についてより良い環境を整えていきたいと考えながら毎日を送っておりました。
同年5月25日、北朝鮮は2回目の核実験を実行、7月4日には短距離ミサイル、日本を射程に収めた中距離ミサイルの発射実験を行いました。私は生まれて間もない我が子を抱きしめながら、日本に着弾しないようただ祈るしかありませんでした。北朝鮮の日本人拉致、核実験とミサイル実験、これらの脅威から我が子の生命と安全を守り抜かなければならないという気持ちが芽生え、同時に外敵からの防衛について真剣に考えるようになりました。
平成29年8月29日早朝、私は突然の警報で目覚めました。北朝鮮の弾道ミサイル発射を知らせるJアラートの音でした。全身の毛が逆立つのがわかりました。私は飛び起きると主人と子を起こし、すぐ家の中心部の安全な場所へ子を避難させました。万が一の衝撃に備え、子を毛布でくるみ、頑丈な机の下に入らせました。
「窓とカーテンを全部閉めてくるからね。お父さんとお母さんが大丈夫だよと声をかけるまでここにいてね」うなづく子の毛布に包まれた顔、黒い大きな瞳とふっくらとした頬が今でも忘れることができません。私には日本上空通過のほんの数分間がとてつもなく長く感じられました。
同年9月15日早朝、再びJアラートが鳴り響きました。今度は自分から避難を始めた子を誘導し、毛布で包み机の下に入らせ着弾しないよう祈り続けました。
私は国連から制裁を受けているはずの北朝鮮がなぜ核実験・ミサイル実験を続けることができているのか、疑問に思いインターネットで過去のニュースや国防に関する記事を読むうち、朝鮮総聯が祖国を技術的・経済的に支援し続けていることを知りました。そして日本人拉致事件の実行犯も朝鮮総聯とその傘下組織である朝鮮学校校長らであることを知りました。私は拉致被害者救出、そして日本国の現実の脅威を解決する手段はないか、何の力も持たない平凡な自分でも、日本人として、親として何かできることはないかとその手段をずっと探し続けておりました。
そんな時「余命三年時事日記」というブログに辿り着きました。ブログで、ある時、北朝鮮傘下の朝鮮学校に補助金支給要求声明を出す弁護士会の弁護士宛に懲戒請求を呼びかける記事を読みました。日々の忙しさに流される毎日でしたが、度重なる弾道ミサイル発射で現実の脅威を感じ、また大切な子を奪われた拉致被害者の親御様方の心情を思う時、私は自分も行動すべき時だと感じました。
大切な我が子を奪われ、何十年もその幸せを奪われてきた拉致被害者とそのご家族。日本と世界に対するミサイルの脅威をもたらし続ける北朝鮮・その傘下である朝鮮総聯、朝鮮学校に、私たち日本人が納めた血税を補助金として支給せよとの異常な会長声明を出し続ける全国各地の弁護士会。日本国にありながら、日本人の人権を踏みにじり続ける行為を変えてもらいたいとの思いから、私は懲戒請求書を書きました。
国民が祈る以上に、日本国の大御宝(おおみたから)である拉致被害者全員の救出を祈り続けてくださっているのが天皇陛下です。
天皇陛下は大御宝(おおみたから)である拉致被害者を全員救い出したいと思っていらっしゃいます。
拉致被害者の全員救出をお望みであることは、歴代の陛下がおっしゃっていることです。
天皇陛下(上皇陛下)お誕生日に際し(会見年月日:平成14年12月19日)
小泉総理の北朝鮮訪問により,拉致事件の一端が明らかとなり,その後5人の拉致被害者が帰国したことは大きな出来事でした。長年にわたる拉致被害者並びにその家族の苦しみや悲しみは,いかばかりであったかと察しています。
私どもには,富山県高岡市で起こった拉致未遂事件という恐ろしい記憶があり,皇后が述べている「なぜ自分たちが自分たち共同社会の出来事としてこの人々の不在をもっと強く意識し続けられなかったのだろうか」という思いは,私にも非常に分かります。
皇后陛下(上皇后陛下)お誕生日に際し(平成14年:宮内記者会の質問に対する文書ご回答)
悲しい出来事についても触れなければなりません。
小泉総理の北朝鮮訪問により,一連の拉致事件に関し,初めて真相の一部が報道され,驚きと悲しみと共に,無念さを覚えます。何故私たち皆が,自分たち共同社会の出来事として,この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ,今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり,その一入(ひとしお)の淋しさを思います。
皇太子殿下(今上陛下)お誕生日に際し(会見年月日:平成15年2月20日)
また,日本人の拉致問題についても,小泉総理の初めての訪朝を機に表面化して,5人の方々が日本に戻ってこられたことは良いことでした。しかし,多くの方々が,大変な思いをされたということに,改めて思いを致しました。いまだに行方が分からない方々のご家族のお気持ちはいかばかりかと拝察いたします。この拉致問題が少しでも良い方向に進むことを心から願わずにはいられません。
雅子皇太子妃殿下(皇后陛下)お誕生日に際し(会見年月日:平成14年12月5日)
他方で,やはり日本の国内にあっては北朝鮮の拉致の問題でございますね,こちらが明るみに出て,そしてその被害に遭われた方のうちの何名かが帰国されたというようなこともございまして,また亡くなられてしまったと言われている方々もいらっしゃるわけで,本当にその被害に遭われた方々,そしてまた,そのご家族のお気持ちを思うと,本当にこれは胸が痛むことで,本当にお気持ちを察するに余りあることであったのではないかと思います。
拉致被害者の全員の救出を一番望んでおられるのは、天皇陛下でいらっしゃいます。
皇后陛下も同じくお望みでいらっしゃいます。
裁判所に対する私の思い
原告弁護士らによる最初の訴えを起こされてから約2年半、私は幾度か裁判所へ傍聴に参りました。裁判では被告側の言い分や申し立てはすべて無視され、原告弁護士らの言い分だけが認められる判決を受けました。裁判とは、法の下の平等が保証され、公正・公平なものだと思っていましたが、判決は随分と偏ったものに思われます。他にも数百件に及ぶ一連の懲戒請求裁判において、すべての裁判官が私たちが行った懲戒請求を不法行為として認定し判決を下しています。
10年以上に亘り、私は北朝鮮のミサイルによる現実の脅威と、生命の危機を感じ続けてきました。平成29年の弾道ミサイル発射時、関東ではJアラートは鳴らなかったそうですね。裁判官の皆様は、北朝鮮の真の脅威を感じたことがおありで無いようです。自分と家族の生命が死の危険にさらされる、真の危機を感じた経験がおありでない。あの時、私と同じように恐怖にさらされた多くの国民、子の親たちがいたことにお気づきでない。つい先日も北朝鮮は弾道ミサイルを発射しました。次は関東も確実に射程に入っています。裁判官の皆様にはこれらの出来事とその意味を今一度我が事として真剣に考えていただきたく思います。
国連安全保障理事会と日本国政府は北朝鮮に対して経済制裁を行っています。世界と日本の安全を守るためです。日本の三権の一画を担う裁判所・裁判官であれば、これらの情勢を理解していて然るべきですし、北朝鮮への制裁逃れとなる可能性がある朝鮮学校に対する補助金支給と、弁護士会が行った朝鮮学校補助金支給要求声明が日本国に仇なす声明となり得ることを理解しているはずです。日本がテロ支援国家として制裁されても良いのですか?
私たち国民の真の思いである、拉致被害者を救出したい、日本に仇なすような行動を変えてもらいたい、その思いを完全に無視するのですか?
天皇陛下の大御心はそれで良いのですか?
皇太子殿下(今上陛下)お誕生日に際し(会見年月日:平成16年2月19日)
北朝鮮による拉致被害者の問題も,良い方向に解決することを心から願っております。
天皇陛下は拉致被害者の全員救出を願っていらっしゃいますが、日本国の裁判官としてあなたはどうお考えですか。
歴代の陛下が願っていらっしゃる大御心に従いますか、それとも背きますか。
以上