ひえんあやめ
自営業をしている方は「法人会」「組合」「商工会」などに加盟している方もいらっしゃるでしょう。
ここでは政党の支持流れのお話をしようと思います。
とある組合の支部のお話。もちろん組合や支部によって支持政党は違います。そこをご了承願います。
この支部は「民主党」を政権を取る前から支持をしていました。ところが、この地区の議員は、毎年組合の会合に年始の招待状を送っても来ません。民主党が政権を獲得したときでさえも。
市長、市議、衆議院自民党の議員、参議院のみんなの党の議員は顔を出すのに、秘書が来てもねぇ本人じゃないと。それでも民主党議員に招待は続けました。やがて時は流れて民主党が政権から降りても来ない。せめてこういうとき、いやこういう時だからこそ顔を出せば、まだ見込みはあったかもしれません。それでも顔を出しませんでした。
やがて自民党が返り咲き、地区の議員も委員長になりましたが、彼は相変わらず顔を出します。旧みんなの党の議員もです。そこでついに支部の方針が変わりました。
支部では「自民党の○○議員を支持する」ということ。我慢の限界を超えたということですね。
そんなの当たり前かなと思いつつ、その当たり前のことすらできない議員への不信はやがて民主党につながり、支持を失っているんだろうな。
地区の行事やイベントに議員が顔を出すということが大切なのにね。自分の近いところの話をしてみました。
さて18歳に選挙権が与えられました。余命読者さんには18歳の方もいらっしゃるでしょう。いきなり国政ではなく、自分の市町村議員や市町村長を選ぶ選挙から見てみるともっと政治が身近になりますよ。
niki201212
余命様、余命プロジェクトチームの皆さまお疲れ様です。
本日の昼、石川県津幡町を歩いていたら幸福実現党が安保法案は必要だと訴えるデモをしていました。
自称保守政党で在日が入り込んでいると噂されている幸福実現党が安保賛成派であることは知ってましたが徹底していることに驚きました。
「安保法案は必要です。日本は周辺国の北朝鮮や中国などに舐められて好き勝手にされ、侵略の動きを見せています。だからこそ自国は自国で守る法が必要です。 しかし、日本政府はロクな説明もしませんでした。 だからこそ私たちは安保法案の必要性を周知徹底しているのです」
みたいなことを言って呼びかけていました。
しかし、日本国旗の旗を持っていないあたり、何か企んでる節がありそうなので注意が必要だと思いました。もちろん安保の必要性を訴えるだけならいいのですが。
さらに幸福実現党所属の津幡町町会議員井上新太郎も演説を行ってたので…もしそうならば津幡町は… 何もなければいいのですが。
都民
今年もあと3か月で、8月15日がやって来ます。日韓併合の経緯について事実を知れば、韓国人が言う「植民地にされた」というのが大嘘であると明白になります。
日本は明治時代前半、南下する動きを見せるロシアに脅威を感じた。ロシアが朝鮮半島まで南下すれば、日本への侵略の危険が増すからだ。
日韓併合前の李氏朝鮮(今の韓国と北朝鮮)は1200年以上にわたり中国の属国で、李氏朝鮮初代王の李成桂が明時代にもらった朝鮮という国号は、貧乏な国なので朝(みつぎもの)鮮(少なし)という意味。中国が朝鮮の王妃や王太子の廃立を決定、貨幣鋳造権は朝鮮には無く、不衛生極まりなく、はげ山ばかりで木々が無く、識字率は数パーセント。李氏朝鮮では両斑と呼ばれる貴族が民衆を暴力で支配。
李氏朝鮮はロシアから自国を守る力はなく、日本は未開の土人国朝鮮をなんとかして近代化し、ロシアの進出を防ごうとした。李氏朝鮮を長年属国としてきた清がそれを許さず、日本と清との間に日清戦争(1894〜1895年)が起きた。日本は勝利し、朝鮮半島を独立させ、李氏朝鮮は国号を大韓帝国と改め、李氏朝鮮の王であった高宗は、独立後に皇帝となった。
高宗は政治的手腕がなく、国土は荒廃、慢性的食糧不足が続き、独立国としてやっていくことが難しかった。当時の韓国の最大与党の親日派の一進会が、日本との併合を強力に推進。日本は朝鮮を保護するため、朝鮮に統監府を設置しており、統監の伊藤博文は日韓併合に反対していたが暗殺された。
伊藤博文暗殺を機に、韓国内から日韓合邦を求める機運が高まり、朝鮮側が積極的に日本に合邦を打診してきた。「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々が届いた。
1907年に高宋は退位し、長男の純宗が即位。一進会の宋秉畯は、1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ大韓帝国皇帝純宗、韓国の李完用首相、伊藤博文後任の曾禰荒助統監に提出し、また韓日合邦を朝鮮の国民に訴えた。
宋秉畯の「韓日合邦建議書」の上奏文↓
「日韓双方の国力の差・文明の程度の差から日韓対等合邦は事実上不可能であり、連邦制では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である」。
日本にも韓国にも、日韓併合に賛成派、反対派がいた。曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。 それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に日本の桂太郎首相の指示により曾禰荒助は遂に受け取った。
しかし、受け取っても明治天皇の意向で併合反対派の曾禰荒助は統監を続けたので、併合の正式決定にならなかった。
その間、韓国では次第に併合に賛成する者が増え、反対派の曾禰が辞職し、寺内正毅が後任に任命された。寺内正毅は統監になったが併合に関して何も動かなかったので、8月16日、併合推進派の李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内正毅の居る統監府を訪れた。
ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、純宗は奏上文を受け入れ、了承した。
これにより1910年8月22日の純宋皇帝の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定し、李完用総理大臣によって、「韓国併合ニ関スル条約」の調印が行なわれ、8月29日公布実施された。統監府は総督府となり、大韓帝国は滅亡し、総督府の統治下に入った。つまり、韓国での韓国人の会議により、韓国皇帝が承認し、韓国総理大臣が調印するという国際法にのっとったやり方で日韓併合は行われた。
上記の経緯をから、日本が朝鮮を植民地化したというのは嘘と明白になる。日本には明治天皇がいて、韓国に純宋皇帝がいて、併合なら二人のエンペラーはなりたたないので、日本に併合される場合、純宋は皇帝でいられないのを知っていたのに、日韓併合を承認した。韓国で一番高位が皇帝なのだから、嫌なら嫌と言えばいいだけだ。よって、韓国人のための韓国人による韓国人の決定である!日韓併合条約の調印に伴い、純宋李坧は皇帝ではなくなり、その地位に相当する王(李王)の称号を明治天皇から賜ってさえいるのである。
こうして韓国は日本に併合され、第2次世界大戦では、韓国は日本と共に戦った。1945年8月15日、日本が連合軍に無条件降伏。朝鮮(今の韓国と北朝鮮)は日本に併合されていたので、朝鮮も戦勝国ではなく敗戦国。朝鮮総督府の遠藤柳作政務総監は、統治機構権の韓国人移譲宣言を行い、朝鮮総督府に掲げていた日章旗を下ろして太極旗を掲揚。ところが、連合国側の米国とソ連が、日本の朝鮮統治機構権移譲宣言無効を表明し、朝鮮総督府に日章旗を掲げ、朝鮮をまだ日本が統治するよう要求した。
朝鮮人の呂運亨は李承晩を大統領、自身を副大統領とする朝鮮人民共和国の建国を9月6日に宣言した。しかし、アメリカ及びソ連は朝鮮人民共和国を承認しなかった。1945年9月7日、米軍が朝鮮半島占領統治を宣言し、朝鮮の独立を明確に否認した。
1945年9月9日、まだ朝鮮を統治していた日本は、朝鮮総督府で降伏文書署名し、朝鮮半島の統治権を米国に譲渡した。朝鮮総督府庁舎には日章旗に代わり星条旗が掲揚され、マッカーサー将軍が、米国による朝鮮半島の軍政統治を宣言。よって、日本の統治が終了したのは、9月9日である。
9月9日の朝鮮総督府の降伏後、北朝鮮でソ連軍が、南朝鮮でアメリカ軍が軍政を開始し、朝鮮半島の38度線より北をソ連、南を米軍が占領。その後、朝鮮人は北部に朝鮮人民共和国、南部に大韓民国臨時政府樹立を宣言したが、アメリカ及びソ連は朝鮮人が自主的に樹立した政府に対し、承認を拒否した。米ソは朝鮮半島にあった日本政府及び日本人の資産を、韓国と北朝鮮に与えずに没収。
1948年8月13日、米国は朝鮮半島の統治権の大韓民国制憲議会に譲渡を決定。議定書を取り交わし、大韓民国樹立の宣布式が行われた。
1948年8月15日、李承晩大統領が大韓民国政府の樹立を宣言。韓国で8月15日は、光復節という「日本の朝鮮半島統治からの解放記念日」とされている。しかし、韓国は戦後、日本の次に米国に統治され、1948年に米国から独立したというのが史実である。
よって、韓国が日本の統治から独立した記念日など歴史の事実として存在しない捏造である!つまり、8月15日は、敗戦国韓国が米国から独立した記念日というのが正しいのである!
ぶるーす
余命翁さま プロジェクトチームの皆さま 余命サポーターの皆さま
報道しない自由w
産経より
京大准教授に対北制裁 核研究で総連系から奨励金受け取る 再入国禁止措置の対象に
2016.5.2 06:26
核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮への独自制裁として、日本政府が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部や、傘下の在日本朝鮮人科学技術協会(科協)構成員を対象に実施している北朝鮮渡航後の再入国禁止措置の対象に、京都大学・原子炉実験所の男性准教授が含まれていることが1日、複数の関係者の話で分かった。
准教授は過去、北朝鮮の科学技術開発に貢献するための日本国内の団体から研究奨励金を受けていた。北朝鮮が日本の国立大の核技術に触手を伸ばしている実態が浮き彫りになった。
准教授は原子力学が専門で、京大で博士号を取得し日米韓の関係学会に所属。国際原子力機関(IAEA)の共同研究にも参加、論文引用回数が最多だったとして受賞するなど中核的な研究者として知られている。一方、北朝鮮や朝鮮総連との密接な関連がある「金万有科学振興会」から、かつて核技術に関する研究で奨励金を得ていた。
同会は平成17年に北朝鮮向けの医薬品不正輸出事件の関係先として、科協とともに警視庁公安部の家宅捜索を受けた。科協は北朝鮮やイラン向けの精密機器不正輸出事件で警視庁が14年に摘発した事件への関与が判明している。
今回、政府が准教授を「再入国禁止措置」の対象とした背景には、国立大の「核の頭脳」が北へ流出することを阻止する狙いもあるとみられる。
同実験所は先月、准教授から事情聴取。准教授は今年2月中旬に法務省から「北朝鮮に渡航した場合は再入国できない」との通知を受けたことを認める一方、北朝鮮渡航は「一度もない」とし、今回の措置については「心当たりはない」と話した。同実験所が過去の公用渡航歴の提出を求めたところ、韓国に多数回の出国歴があったほか中国、欧米への渡航歴があった。
実験所は、産経新聞の取材に当面応じないよう准教授に伝えた。
京大は朝鮮大学校の校長ら有力科学者を輩出。公安当局は、京大の朝鮮人科学者人脈が、大量破壊兵器などへの転用が可能な北朝鮮の科学技術開発と密接な関連があるとみている。同准教授への再入国禁止措置については、発売中の月刊「正論」6月号に西岡力氏が詳細を報告している。
まひる
こんにちは、余命様。
本日5月6日の北海道新聞夕刊でちょっと面白いコラムが掲載されていましたので引き写しいたします。
今日の話題
先月下旬に行われた衆院道5区補欠選挙の政見放送を見ていて、「おやっ」と思った人も少なくないのではないか。
激戦が伝えられていたのに、テレビから流れたのは自民党公認候補の紹介だけ。野党側が推薦した候補の放送はなく、これだけだと他候補の存在すら分からない。
衆院選への小選挙区比例代表並立制導入を決めた選挙制度改革で、衆院選の政見放送は一定の要件を満たした政党にのみ認められるようになった。
政党本位の選挙を目指したためだ。無所属で立候補すると政見放送ができず、選挙カーやポスターの数も政党公認候補に差をつけられる。
道5区補選では野党4党が安全保障関連法の廃止で一致し、統一候補を推した。しかし、無所属を選択したため選挙運動は制限された。野党側からは、無所属の限界という声も出始めている。
政見放送を研究する情報セキュリティ大学院大の湯浅墾道(はるみち)教授(情報法)は「(できないことを)知っていて無所属を選んだ責任はある」とする一方、「代替手段がなく差が大きすぎる」との見方も示す。
その上で「政治的中立の理念から、他に候補がいることを放送時に伝えるべきでは。法改正をしなくてもできる」と提案する。
1996年衆院選の無効を求めた訴訟で、最高裁は選挙は合憲としたが、政見放送放送を政党のみに認めたことについては「合理性には疑問の余地もある」と指摘した。
その指摘の意味を、いま一度考えてみたい。
(嘉指 博行) 2016.5.6
自陣営が不利益を被った途端に政治的中立ガーと言い出す面の皮の厚さに呆れますが、アカアカしい道新がこんなことを言い出す辺り、放送法関連でがっちりスクラムを組んでいるように見えるマスコミおよび政治家も所詮烏合の衆であり、楔を打ち込む余地は十分あるようです。
サムライブルー背番号0
世紀の大どんでん返しが始まろうとしている様です。
竹島奪還作戦で日本が主体的に動くとは・・・。
感激です。
知り合いの自衛隊幹部の方が年始に「今年は山が動く。」と言いましたが、この事だったのでしょうか。
そして、マイナンバーに続いてゆう貯銀行の口座審査厳格化とはすごい事だと思います。
渡邉哲也氏も「アル・カポネはアメリカ財務省が滅ぼした。」と言っています。
自衛隊が正規に動ける範囲も広がっているし、正規に動き難いところを予備自衛官がカバーする仕組みも出来ている様子で頼もしい限りです。
軍事戦でも、外交戦でも、情報戦でも、金融戦でも、全ての戦いで正規対応が可能な範囲を拡大する事とグレーソーンをカバーする仕組みが必要だと思います。
記録に残っているものは外患誘致罪で裁けますし、グレーゾーンは(左翼の得意な)人民裁判になるのでしょうか。
ある意味「汚れ役」が必要だと思います。
その時は自分ができる事ならやります。
サムライブルー背番号0
クミ ト∸ビン
余命翁様を筆頭に、余命プロジェクトチ∸ムの皆様、花菱様、余命サポーターの皆様を心より応援します。
※ブログの趣旨と合わないようでしたら、遠慮なく削除でお願いします。
テキサス親父日本事務局長・藤木俊一氏の月刊正論6月号に寄稿したコラムが産経新聞(5月6日付)で紹介されています。
米国立公文書館の重要資料発掘(上)慰安婦は「性奴隷」では絶対になかった。この公文書は、大東亜戦争末期の東南アジアの各地域での日本軍の戦争捕虜(朝鮮人も含む)に対する米軍の尋問調書をまとめたもので、各地域の日本兵の生活等が記されている。
・マニラの慰安所の実態
・書類の中で慰安所は、Brothels(売春宿)と記載
・食堂や売春宿を開業したい場合は、軍に許可を得ることが必要
・衛生管理に関して
・性奴隷ではなかった証拠
・未成年者の雇用は禁止
・軍人・軍属に対する規則
「単なる売春ビジネスを金一勉、千田夏光、吉田清治などの慰安婦問題の捏造の主犯格から、それを喧伝した日本国内の朝日新聞等のメディア、日本国内から英字で発信しているジャパン・タイムズなどの英字メディア、人権活動家、フェミニスト団体、高木健一弁護士、戸塚悦郎弁護士等を擁する日本弁護士連合会、韓国では、韓国挺身隊対策問題協議会や民主社会のための弁護士会、米国では、マイク・ホンダ(民主党下院議員)などの親中派、親韓派議員たち、アレクシス・ダデンなどの反日学者、世界抗日戦争史実維護連合会などの反日組織などさまざまな慰安婦問題を利用して、金を稼ごうとする強欲な国内外の人間たちと日本を貶めたい人間たちのリレーによって作り上げられてきたのが、この慰安婦問題なのだ。そして、歴代の日本政府、外務省の無作為により世界中に広まってしまったわけである。」
すでに世界中で完成してしまっている慰安婦性奴隷物語を少しずつでも切り崩し、実態に即したものに戻し、先人たちの名誉の回復、そして、将来の日本のために一時資料に即した史実を伝える活動を行っている。
詳しくは産経新聞+産経ニュースサイト+月刊正論6月号をご覧下さい。クミ トービン
都民様
都民様の日韓併合の記述は全くもって正しいと思います。然しながら、過去米国のアフリカの黒人奴隷も、当時では合法の人身売買として、アフリカ黒人自身が白人に売った事例が多々あります。だからと言ってこれはビジネスだった、黒人自身が仲間を売ったのがそもそも悪いと言っても、今の米国社会では通用しないのと同じ様に、日韓併合は、国際条約に基づく併合であって植民地では無い。というのは歴史学者内では通用しても、”戦勝国”側の一般社会では、欧米と同様に、日本も無理強いしたのは事実だ。と拒絶されると思います。それよりも、欧米に比べて日本の統治は最も良心的で(仏人のアジア学者?さん)台湾、朝鮮半島の発展に非常に寄与した事を、実例を挙げて根気よく、アジア、アフリカの国々へ地道に説明する方が、(国の近代化、発展の事例としてODAの一環が良いかもしれません)結局は日本の地位を高める事になる様に思いますが如何でしょうか?
皆さんの歴史情報や地域情報は大いに参考になり感謝しています。さてゴールデンウィークも終わったところですが、ひとつ大変残念だったのは、祝日三連休中この片田舎においても、日本国旗を掲揚する家庭が非常に少なかったと言うことです。うちの町内で三軒、隣の町内は七軒、その隣の町内は全く無しetc。余命3年官邸メールに国公立の教職員で国歌斉唱、国旗掲揚を拒否する者は解雇等の処分をすべしとの事案があり、真面目にメールを続けておりますが、一般国民がこうですから、先が思いやられます。祝日のみならず選挙の日にも各家庭先に国旗を掲揚する事を義務化してほしいと正直思います。日本を愛する国民として当たり前の所作・行為だと思います。思い付き一言。
(※違う場所・違うPCから書き込みしてるためIPアドレスが変わってると思いますが、なりすましではなく本人です。私個人のセキュリティ面からすれば名前を変えた方がいいのかもしれませんが、文体がtakaとやらに似てると疑わせてしまう無駄な労力を考え初めにことわりを入れさせていただきます。)
〈書店報告〉5/6時点
・有隣堂ルミネ横浜店
神奈川県横浜市西区西区高島2丁目16−1 ルミネ横浜 6F
余命三年時事日記・ハンドブックとも検索機にはヒットするも店内在庫は無しとの表示。
・紀伊國屋書店横浜店
神奈川県横浜市西区高島2−18−1 そごう横浜店7F
中国・朝鮮コーナーに2冊とも平積みされてました。
私或いは他の方がすでに同店の状況を報告したか記憶が定かではありませんが、時間経過による状況変化の有無を確認できるかもと思い書き込みました。
不必要でしたら削除してください。
余命爺様 余命プロジェクトの皆様、おはようございます。 栃木県在住の信州味噌です。
5/7付けの下野新聞の熊本地震義援金の欄に「余命3年時事日記」の記名があるではありませんか!
確か、熊本地震の記事に下野新聞の義援金について書かれた方がいらっしゃったので、その方がきっと寄付されたのかと思い嬉しくなってコメントいたしました。毎日系の下野新聞ですが、こんな形で余命3年時事日記の名前を載せるとは思わなかったでしょうね。
余命様、スタッフの皆さま、同志である読者サポーターの皆さま、いつもありがとうございます。
皆さまの投稿されるコメントの中に、しばしば8月15日という日付を確認しております。日本にとっては言うまでもなく終戦記念日であり、どこかの半島では別の記念日のようでございます。
本日はこの8月15日を通じて、日本人の心性とは相いれない、日本に巣食う一神教(もどき)が書く文章から、何故彼らが、数百年以上昔から外部勢力にとって宝の国・垂涎の的であった日本を乗っ取ることが当然だと考えるか。それを解き明かすために歴史上の有名人が日本を勝手に自分の宗教に捧げた歴史的事実を考察してみたいと思います。
この簡単な考察により、なぜウ・スト教徒が日本をわがものとして恥じないのかが見えてくるのではないかと考えるものであります。それはおそらく左右の別なく、反日に共通する心性だろうと推察しております。
何か大きなことが図られるとき、縁起を担ぐのか何重にも意味を込めるのか、日付を決めることが重要になります。以前の投稿で触れましたが、「政権交代選挙投票日」は「マッカーサー進駐記念日」の8月30日に設定されました。日本が追い込まれた第二次世界大戦の開戦日(真珠湾攻撃)の日は、12月8日でした。『12月8日は、聖母マリアが、その母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」で、盛大に祝われます。』※
では、8月15日はどうでしょうか。これはフランシスコ・ザビエルが日本を聖母マリアに捧げた日です。『1549年8月15日に鹿児島の海岸に上陸しました。日本に着いた日が、ちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは、日本を聖母マリアに捧げました。』※。聖母マリア被昇天祭は、フランス、イタリア、ドイツの一部、オーストリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド、アイルランドなどのヨーロッパ諸国に加えて、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、チリなどの中南米諸国など、すべてのカトリック国で祝日になっています。マリア様が天国にお入りになった日を盛大にお祝いするのです。
ザビエルの上陸記念日1549年8月15日をアナグラム的に入れ替えると1945年8月15日になるのは単なる偶然でしょうか。そして英米と同じキリスト教国でありフランスと同じ祝日を祝うドイツやイタリアに原爆が落ちるはずがないことも、最初から決まっていたことでしょう。
それだけではありません。『サンフランシスコ講和条約が、サンフランシスコで調印されたのは、1951年9月8日。この日は、「聖母マリア」の誕生日に当たります。 さらに日本で建国記念を祝う2月11日は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。』※
偶然かもしれません、そうでないかもしれません。しかしことほどさように日本の存立が危うくなる植民地化や滅亡の縁に立たされた日がすべて、キリスト教関連しかも聖母マリアの記念日と関連付けられていることに意味がないと感じる方が無理であるような気がします。
それは、神道を滅ぼして一神教の支配下に日本を隷属させようという意志が存在したとみるのが極めて自然ではないかと個人的には考えています。
余命ブログを攻撃する文言が、きわめて稚拙でゆがんだ形とはいえ、キリスト教の概念を彼らなりに解釈したものらしく、日本人を「悪魔呼ばわり=異教徒呼ばわり」することは、聖母マリアに捧げられた場所に住む滅びるべき先住民として、日本人そのものを抹殺しようというエスニック・クレンジングへの意志を感じます。つまり、彼らこそが日本に対する非寛容そのものの差別主義者であることを示しています。
稚拙で知力にも疑問符がつくことばかりですが、悪意だけは強大であり、日本と日本人を滅ぼすことを当然と考えている手合いであり、それにはキリスト教という権威がついていると勝手に信じているこの一点については、最大限警戒する必要があると考えます。
以上、稚拙な考察に最後までお付き合いいただき、心から感謝申し上げます。
※印をつけた『』内の引用部分は、カトリック中央協議会HPの日本と聖母マリアから引用。
ななこ様
YMTと申します。
アナグラムの詳細な説明ありがとうございます。
>何か大きなことが図られる時、縁起を担ぐのか、何重にも意味を込めるのか、日付を決めることが重要になります。<
>神道を滅ぼして一神教の支配下に日本を隷属させようとする意思が存在してたと見るのが極めて自然ではないかと個人的には考えています。<
この二つの目的にピタリと当てはまる事例が現に存在します。
「いわゆるA級戦犯」の死刑執行日が12月23日、すなわち今上陛下(当時の皇太子殿下)の誕生日です。
この日を選んだのは、「日本国民の祝祭日を永久に呪われた日として(素直に)祝えない日」にして日本国民の精神を永久に挫くことだ、と読んだ記憶があります。
おそらくそのとおりでしょう。この例に見る通り、一神教の連中のえげつなさには、和を尊ぶ多神教の我々の理解を超えてます。
また、その呪いの影響か、唯々諾々と素直に従って、シェル様の記載の通り祝祭日に国旗を掲げる家が少ないのはなんとも歯がゆい限りです。
小生も国旗を掲揚にするようになったのは、かなり前の国旗国歌論争の馬鹿さ加減にブチ切れて国旗を掲揚するようになったのであまり自慢できませんが、少数派であることは間違いありません。
しかし、このまま、一神教に隷属したとみなされるのは耐えられません。
これからも掲揚しますよ。戦場経験者の恩師が「日の丸はどんな遠くからでもすぐ直ぐわかる。」と目を細めて言ってたのを思い出します。
白地に赤の日の丸は、日本の青い空、山々の(緑)青、青い海等の自然の青を背景に取り入れた三色旗と理解してます。
709 政治関連アラカルト⑦ 都民様へのお尋ね
韓国独立に関し
>>米ソは朝鮮半島にあった日本政府及び日本人の資産を、韓国と北朝鮮に与えずに没収<<
◎この件は初めて知りました、南北それぞれが得たとばかり思っておりました。これは一般的に知られていることでしょうか? 良く言われることに、日韓併合が違法だと言うなら(韓国は未だに違法だと言いたいようですね)、【日本が韓国に置いてきた資産を返せ】と。米ソが取り上げたなら韓国にその益はなかったわけですね。どこかに公式文書があるのでしょうか?