四季の移ろい
『ごみへ。
『985 巷間アラカルト160』記事、現在の日本発進さんご投稿に対する
『.....ブログ記事は相手が見えないし無言だから、どうしてもマイペースになってしまう。相手の主張も聞く耳がなければ話は進まないし、断定は結論として議論そのものが終わってしまう。
ツイッターは相手の反応にあまり時間差がないから短文で感情のやりとりとなる。
よって議論そのものがブログよりはるかに軽い。逆に言えばブログははるかに重いということになる。読者に認めてもらえる記事を書くのは大変だよね。』
の余命さんお言葉で、ブログをやるって大変なんだなってつくづく思って自分もやってみようって思った。
勿論他の方のブログへMyコメを入れるのも自分の言葉への大きな責任が伴うから決して安易にするものでは無いと判っているけれども、ブログ主側の責任とはどう云うものか実際に経験してみたかったからだ。
勿論知識もアタマもなんも無いから政治ブログなんて先ず無理だしでも良い機会だからと、自分のささやかな生きた証として自省含めた時々の思いを綴ろうと始めた。
実際やってみると写真一枚掲載するのも人の顔とか車のナンバーとか色々気を使わなくちゃいけないし、余りリアル身ばれ系はやだから近所の風景も載せたくないとかも気を使うし緊張するし。文章だって頭おかしい人って思われない様に凄く気を使うし。碌に人の訪れないあんなへなちょこボロブログですら気を使うし、疲れる。
自分達の国は自分達で守らなきゃってね。それは初代余命さん、かずさんのお心から始まっている。そして代々の余命さんがそのお心を受け継ぎ、そして現余命さんはその日本人の心を育てる為のプロジェクト、日本人覚醒プロジェクトをより具体的な実行を伴い、進めている。
今の読者さん投稿スタイルになったのはSo-netブログが削除されて今のWordPressからだけど、二代目さんがミスったって仰ってたね。『疫病神』だなんて自ら仰って。
ホントは余り霊的な事を云うのは個人的には余り好みではないのだけど、でもこれもまた運命だったのかな?なんてね。今の投稿スタイル。
コングロマリットジジイもだしSo-netが遮断されたのもそうだけどさ。そう云えば豆腐おかかさんが仰ってたけ。『引退させないように神様が動いているとしか思えない』って。
現余命さんはブログ読者の皆さんと直に触れ合い、皆さんのお心を直接に支えられる素質?資質?を持ったお方って事なのかな?って。そんな使命?天命?を持ったお方なのかな?って。
そしてそんな余命さんに応える様に皆さんたくさんのご投稿をなさり、今度は逆に余命さんを支えてらっしゃる。
ううん、それだけじゃ無い、そんな皆さんのご投稿で、投稿なさらないとてもたくさんの読者さんまでも支えてらしてる。
現余命さんは、そんなあらゆる信頼を絆を築ける素質?資質?を持ったお方なのかな?って。
余命さん、もうかたちは『みんなのブログ』ってだいぶん前から仰ってらしたね。今更ながらホントにそう思う。
考えてみたら現余命さんに成られてからのこの二年半で随分変わった。読者さん皆さんが直接参加するまでに進んで。なんか…やっとここまで来たなって…感慨深い。(とはまだまだ云っていられないが。)
でも特に今年に入ってからの世の中の流れを見ると…『2379 2018/02/20アラカルト①』を今読んでみた。久しぶりに余命さんブログの最新記事を読んだ〜。轟木龍藏さんが『世の中が妙に静かな気がします。台風の目の様な。』と投稿なさっていたね。私も同じ事を感じていた。
その一方で、「風雲急を告げる」的な?上手い言葉が見つからないけど、何かが大きく動くのをうっすら肌で感じてもいる。たとえるなら…台風の前とかのとても大きい気象の変化がある時に空を見ると、雲がとても大きく動き、早く流れている。あんな感じ。大きなうねりを感じるし、見えない胎動を感じる。
余命さん、現余命さんになられてからこのブログ活動の為に色々なボランティア等を、確か年齢?かご体調?かを口実にお断りなさって。その為にわざわざ回られて。この活動一本になさる為に他を全てお諦めになって。身辺の整理もなさったって仰っていた。おととしの夏に無理なさって余命さんが倒れてしまったのは知ってる?
のんびり過ごせるはずだった安泰な時間、心の静養の時間。本当ならご家族との大切な時間があった筈。
余命さんご自身の何もかもを、一体どれだけを犠牲になさっている事か。それなのに文句お一つ仰らず。へこたれる事一つも仰らず。寧ろいつもいつも読者さんを気遣い、思いやり、常に前向きな言葉しか皆さんに仰らない。読者さんの前でネガティブな事は何一つ、仰らない。
アンチの人達はさ、本を出版して稼いだだの寄付を募っただの卑劣で卑しいあさましい事を言うけどさ。
そのクセ左翼連中反日本連中の潤沢な資金や繋がりには触れないのな、この下衆な連中は。
護国活動だって何だって、良い活動にもお金がかかるの判っているクセに。
ましてや余命さんがご自身の少ない家賃収入と貯金でずっと支えてらした事になんか触れる訳も無い。
ご自身のお金を余命プロジェクトにつぎ込んだ現余命さんは、日本人が日本人として生きて行ける普通の国にしたいが為に、生きて行く為に一番欠かせない物理的ツールであるお金をその実現の手段として必要としているだけなのに。それこそ書類一枚作成するのだってお金が掛かる。なのにそれには文句をつけ、沖縄でホームレス総動員だの過激派総動員だのの資金には触れない。
ただの余命さんいじめじゃん。余命さんをいじめたいだけ。許せないね。酷いよ。人間の風上にもおけない。
本を出版し、寄付を募った事『自体』に文句をつけているだけ。『何の為に』必要としているかはひたすら無視。
そんなのより良い模索の為の、建設的生産的な批判でもなんでもない。そんなのとは全く無縁の、酷いいじめ。
そんなの『言論の自由』や『表現の自由』の範疇外だよ。だっていじめだもん。『自由』の範疇とは全く違う。これこそ本物の人権侵害と思う。自分達の国の為に身を張って活動している人の足を引っ張るだけの、悪意の塊。
たとえば他の手段が良いとか、ストレート過ぎるからもっと大人しい?方法が良いとか、他の考え方やり方が良いとかで賛同までは行かないなどの前向きな意見なら全然判るのに。国を良くしたい思いは一緒なのだねって。
でも単なる足の引っ張り。ただの悪意。
国を思うのなら、少しでも助けに成る前向きなアドバイスとかすれば良いのに、それは一切しない。
あげくに「信者」「信者脳」と、何の根拠も無く余命さんブログをわざと上から目線で馬鹿にして下げる単語を使用して安っぽい印象を与え、胡散臭い宗教まがいなものに見せたくてカルトな単語でレッテル貼りして、関わらない方が良い近寄らない方が良い関わった読者は離れた方が良いとの印象操作をし、吹聴して回る「信者脳」ピーポー連中もそう。
その真意が簡単に見えるよね。余命さんブログの読者さんを賛同者を増やしたく無いし減らしたい。ひたすらそれ。
自分達の国の為に身体を命を張って活動している人とそれを支える人達の事をよくもまあ、そんな風に言えたものかと。より良い提案はなんにもしないクセに。吃驚しちゃう。
情けないね。人の心はここまで堕落したのかって。人の道徳に基づいた倫理による行いを穢す事『だけ』に夢中になる。人の思いを汚して穢すだけ。書いてて情けなくなってきた。
こういう人達て、結局自国を思う気持ちなんか無いのだよね。
たとえそれがお金を貰ってやっている行為だとしても、その行為を自ら選んでやっているのだから。
つまりだから結局そういう人達なんだよね。工作員。日本を敵国外国人に与えて支配させたい連中。まーそれか日本語を使える敵国外国人なのかもね。
だって余命さんの活動を妨害し阻止して、日本人にとって一体何の益が?何の益にもならないし、寧ろ逆。日本再生を妨害し、敵国人に利する行為。まさに外患行為と思う。
(だから私は告発全てもだし、『32 伏見顕正、でれでれ草、悪魔の提唱者告発状』から始まる余命さん中傷者への告発状、署名して良かったと心から思う。署名時に全く躊躇しなかったその思い、当初から一貫している。)
つまりさ、余命さんが邪魔なんだよ。余命さんが本物だから。本物の活動をしているし、しかもその活動の手をゆるめないから。
だってさ、凄いよ、告発にしたって。マスコミや売国政治家だけじゃ無い、たとえば地方自治体のトップ長である知事と、法を適用する司法に携わる裁判官や弁護士を攻めるのだから。国の根幹を為し、日本国民の生命財産の安全を左右する場所だからね。日本人の運命に行く末に関わる。
当たり前だけど日本を構成するのは四十七の都道府県だよね。そんな日本を構成する都道府県民の皆さんを先ず守るべきはそのトップ長である各知事さんでしょ。なのにお子さん含めた県民の皆さんを守る立場でありながら、核とミサイルの脅威にさらしてまで、敵国傘下の朝鮮学校のお子さんやその親御さんらに皆さんが納めた税金を補助している。(あえて云うと、ご自身に投票してくれた都道府県民の方々も危険にさらしている。)
国を構成する各地方自治体が、国民の為に正常に機能していない明確な証拠だよね。各知事さん、そんな意識態度心構えで、どうやっていざと言う時に日本を構成する都道府県民な国民の皆さんを守るの?守る気があるの?って話でしょ。
自国の人間を救済するの為の制度である生活保護も然り。自国の人間がどう云う訳か自国の人間の為の救済を得られず、餓えて亡くなってしまう。なのに何故か在日韓国朝鮮人を始めとした外国人が安易に保護を受けられる現状。ただの通達が憲法を超えるとか超イミフだし。
これもまた国を構成する各自治体が、守るべき市町村民で都道府県民で国民な皆さんを守れていない証拠。各自治体が正常に機能していない明確な証拠でしょ。それでいざと言う時にどうやって国民の皆さんを守るのって。それをトップ長である各知事さんに問うている。
余命さんは『おにぎりが食べたい』と言って亡くなった日本人の方のお話をなさっていた。そんな今の日本人への扱いがはっきりと判るこの有り様。
それから国の安寧秩序は常に法で保たれる。人間同士の諍いや争いによる秩序の乱れをスムーズに解決し、安寧を取り戻し、守り、そして保つ為に法律は存在しているのだもんね。人間が人間を公平に律し、常に秩序を守る為に存在する。何かあれば法律の適用運用で物事を治める。そうやって国の存立存続は保たれる。
だからその法を恣意的作為的に適用すれば、ある特定の人達を優遇し、その国の流れをその人達の良いように変える事だって出来る。それはたとえば国本来の秩序を乱し、外国人による乗っ取りを徐々に浸透、推進する目的だったりする。
逆にある特定の人達を虐げる事だって出来る。それはたとえば日本乗っ取りを目論む外国人に対する日本人の戦いの芽を摘むことだったりする。
たとえば桜井誠さんの裁判にしろ、保守速報さんの裁判にしろ。前者は朝鮮学校高校無償化の大阪地裁判決だね。
外国人を優遇し、日本国民の法的地位を外国人より下のものとする。国民の戦いの芽も摘み、抵抗の意志を削ぐ。やがて国民が国民として生きて行けない未来を作り出す。そうやって日本人の行く末を操作する。
そんな現状を、余命さんは国民の告発によって全日本国民の目にはっきり見える様にあぶり出し、食い止め、正そうとなさっている。更に県民の皆さんを守るべき各知事さんに、外患罪含めて法適用の場である司法に携わる側の日本人に、いざという時の態度を事前に求めている。
その為に国民を動かし、武力を持たないからこその国民による平和的且つ合法手段である法の訴えで食い止めようとなさっている。
当たり前だけどそれは余命さん一人じゃ出来ないからね。国を構成する国民一人一人が動かないと。国の現状は何も変わらない。
そう云えばYouTubeで、余命さんと確か18人?おられるスタッフさんの内のお一人以外は皆さん告発に参加なさったって仰ってたね。あ、やっぱりて思った。実際余命さんが一体どなたなのか自分にはさっぱりだけどさ、多分お立場上、参加出来ないお方だろうなって最初から思ってたからね。顔出し云々以前の話かなって。こんな大変な活動をなさるお方だもの。普通の一般人のお方じゃ無いよなって。お一人のスタッフさんもきっと同じお立場、ご事情なのだろうね。
でももし余命さんもお一人のスタッフさんも、参加出来るお立場だったらきっと必ず参加なさっていただろうね。それは自分はとても判っている。
まー私は別にどちらでも良いけど。自分が告発に参加したのはあくまで自分の意志であって、余命さん参加の有無には全く関係無いし。日本人の一人としてこの告発を知ったからには、そして参加するにあたって特に参加出来ない事情とか無かったから参加した。
それから。川崎デモだってそう。
所謂カウンターと呼ばれる日本国民迫害排除テロリスト勢力への、外圧含めた告発による反撃。そして余命さんは『日本人の』デモを守りたくて、敵国外国人による日本人への弾圧、迫害、排斥を訴える日本人の戦いの芽を摘まれる事をも恐れて、告発に入れておられる。
デモは敵である相手にダメージを与える為だけにやるのじゃ無いよね。何よりも同じ国の人間に、同じ日本人に訴えているのだよね。まだ何も知らない日本人に、少しでも多くの日本人に知って貰いたくて。実際たくさんのデモYouTube含めてその効果は出ているし。私はそう言う思い、昨年の7月19日に余命さんに投稿している。↓
☆『現実生活で個人が周りの人間に認知周知、たとえ少しずつだとしてもその力は侮れないです。じわじわ広がる。ただ認知周知の速度を考えると、街頭デモやネット活動の効果はやはり凄いなと感じます。(何よりもありがたいです。皆さん皆さん時間を削ってプライベートを削って身を削って、危険に身を晒して行動を起こされている。…何と言ったら良いのか…感謝しか無いです。)
街頭デモの良さは地域場所限定とは云え、老若男女的不特定多数に(興味の有無は割と関係無く?)情報に触れて貰う事が出来るって事ですね。そこから興味を持ち、ネット含めて知り始める方々の可能性が広がる。
一方ネットの良さは、地域場所関係無く自分一人ですぐ情報に触れられる事ですね、でも興味が無ければ検索や閲覧する事が無いけど。だからその相乗効果に更なる期待を持っています。
自分的にはやっぱり街頭デモで興味を持った方々が、ネットで余命さんブログを、書店含め書籍(紙媒体はやっぱ色んな意味で強いし)を知り、そして入管通報や官邸メール、一般国民が告発に参加なさっている事実を知って貰いたいです。ストレートな行動を起こしているインパクトは強い。そしてそこから更に個人による認知周知が始まるかもですし。
あとはあぶり出された人達の本当の真実の姿を、デモやネットでより多くの日本人に見て知って貰いたいです。実に判り易いですから。』
↑例によって長ったらしい投稿だった為、カットされた一部。
余命さんは多くの日本人に訴える『日本人の』デモ行動もだし、何よりデモなさる皆さんの必死の思いを守りたくて、告発に入れておられる。
それから余命さんのYouTubeお話を聞いていて思った事。
余命さんは常に第三者の冷静な目線、たとえ敵性外国人に関するお話をなさっていても、常に公平で偏りの無い第三者視点から語られていた。それは敵性外国人を褒めるとかそう云う事じゃ無い、冷静で公平な分析に基づいた目線。
そして日本人の為に、のお考えは常に最優先。でもそれもまた冷静で公平な目線なのだよね。当たり前だけどこの国は日本人の国だからね。そのお考えを基本とした冷静な第三者目線の分析。
つまりね、感情的にならないって事なのだよね。何事においても冷静さを忘れず、第三者の公平な目線を忘れず、感情的にならないように訓練されたお方なのだろうなって。特に戦い、戦場の場においては冷静さを失い、客観も忘れ、感情的になってしまったらそれは負けに繋がる。命取りの行為。生命に関わる。と思う。
だから。余命さんのYouTubeを聞いていて、武人の確固たる鋼鉄の意志が見えた。相当な訓練を鍛練をなさって来たお方なんだろうなって。
第三者としての冷静な思考を絶対に崩さない、ご自身を冷静に律するその高い理性、精神性に私は益々余命さんへの尊敬が深まったよ。それにブログとはまた違い、きちんとYouTubeだって事をお判りになって柔らかく語られているのが、凄く良く判った。
その意味判る?ブログはたくさんの読者さんのご投稿がある。必要な情報から、皆さんの見解から、皆さんの思いの丈から。そして初代かずさんから始まるたくさんの記事。
でもYouTubeでは余命さんの語りだけ。だからまだ何も知らない初見の方々への印象もきちんとお考えになられて。だから柔らかくお話になっている。ファーストインプレッションは大切って。まあ私の勝手な解釈だけど。
それと余命さん仰ってたでしょ、YouTube視聴者さん、質問なさる皆さんは余命さんブログとはまた違った層の方々だね、って。視聴者さん側がどんな皆さんかもきちんとお考えになられて対応を考えてらして。本当、お優しいお方だよね。一方的な発信にならないよう、とても気を使われて。そもそも余命さんは俺が俺が、自分が自分が、なお方じゃ無いからね。
大体さ、余命さんこそいつも人の心、根っこを見ている方だからね。超当たり前だけど自分なんかまるで足下にも及ばない。(元々私はそう云う傾向の人間だったとは云え、人の心をより深く見る様にありたいと考えられる様に成ったのは、余命さんのおかげ。)
いつだったか、『行動する保守運動』について余命さんは、『その成り立ち、何故その様な動きが起こったのか。そこを見誤ってはいけない。』な事を仰っていた。まさにそれなんだよ。
このお方は必ず根本を見る。枝葉末節ばかりに捉われない。
この様な日本人に訴え日本人を救うため立ち上がった団体に、反日本左翼やら在日韓国朝鮮人やらの悪質な嫌がらせ、味方の振りして入り込んでいざとなったら評判失墜やら糾弾の的やらに仕立て上げる用工作潜入員が紛れ込み、実際に実行される、なんてのは必然の事だし。
ましてや素人一般人が始めた団体では、そんな一枚も二枚もそれ以上も上手な巧妙な仕掛けやらスパイやらは完全に防げないし。生き延びる為にはなんでもする連中だからね。それを余命さんは判ってらっしゃる。
だから第一次告発の頃、『1167 10人10色』記事の頃の余命さんのお心を思うと…余命さんは保守の皆さんも一致団結的おまとめになろうと、とても奮起なさっていたのだろうなって…そして余命さんは保守として頑張る日本人の皆さんを本当、優しく暖かい目で見てらっしゃるのだろうなって…強く思った。そして何事も団結をしないとまとまるものもまとまらないって。
上にも書いたけど、余命さんには俺が俺が、自分が自分が、な欲『も』全く無いもの。でも中々上手くは行かないのね…余命さんのお気持ちを思うと…。
そもそも余命さんは人や物事を金銭的価値で見たり計ったりする考え方、思考回路が存在しないし。そう云う物の見方考え方をご存知無いし。
話を元に戻すけど。
余命さんはブログをそして告発を通じて、日本侵略日本人食い潰し勢力の在日韓国朝鮮人や日本人民族浄化勢力の支那共産勢力に与するのか、それとも日本人の為に動くのか、果たしてどちらの利益を命を守るかの行動を今のうちに、事前に日本人にはっきり求めているのだよね。
入管通報や官邸メールだってそう。お役人の皆さんに、国民の粘り強い意思表示によってその態度を求めている。
余命さんがなさっているあらゆる事から、はっきりそれが判る。余命さん、記事の合間にちょくちょく仰っているものね、必要なのは日本人が有事において果たしてどちらに与するのか、な事。
外国人は外国人でしか無いから。だからいざの時のこの国の人間、日本人の態度を事前に振り分けして各々に求めている。そりゃそうだよね、今の内にやらないとだし、いざ有事になったら混乱の極みになってしまう。自衛隊の皆さんだって対応に困るものね。
余命さんが求めているのは、日本人、この国の人間の態度なのだよね。そして日本人の団結を求めているのだなって。
同じ国の、しかも同じ民族同士内で混乱し、争うなんて、国の存立存続にも関わる事だもの。それこそ外国人勢力に乗っ取られる隙を益々作ってしまいかねないし。
それに(たとえ有事があろうと万が一無かろうと)、有事を前提にした行動でないと、ここまで敵国外国人に蚕食されてしまった今の日本は、そして偽りの平和にずっと騙され、あるいは浸ったまま身に沁みたまま甘んじたままの、全方位日本国民は簡単には変わらないとも思う。
そして同じ国の人間は、同じ国の人間にしか正せないから。
だから余命さんは日本人の判断力を鍛え成長させ、且つ自分達の国を守りたいと云う自立の心を育てる事をなさっている。余命さんチームはずっとその様に活動なさっている。
『895 2016年都知事選10』記事の以下、余命さんが信濃太郎さんに伝えたお言葉を読んでみて。出来たら元記事に行って、信濃太郎さんのご投稿も含めて読んでみて。↓
『.....余命は賛否両論ある場合にはその両意見を掲載して読者に判断をゆだねることにしている。日本再生という目的ブログであるが、基本的スタンスは不偏不党の非営利ブログである。したがって議論の場は設けるが、誹謗中傷とか常識的なルールとマナーが守られない投稿や削除要請は言論放棄であって場外となるから排除される。
少なくとも余命が本稿にあげている以上は、その最低限のラインはクリアしているわけで、その投稿の削除要請は余命の判断と運営を否定していることになる。従前の削除要請と、遅れによる運営批判についてはコメントしなかったが、一連の議論について読者から多くの投稿が入っている。これについてスタッフ一同、慎重に検討した結果、以降、氏の投稿は受け付けないこととした。以上はお知らせである。』
↑余命さんはいつも読者さんに判断を委ねていると仰り、皆さんの様々なご投稿をあげておられる。
真っ当な意見や素晴らしい意見や見解だからとかだけじゃ無くて、色々な視点や考え方によるご投稿をあげておられる。時には(私的には)良いとは思えないご投稿もあげられている。そしてそれを読んで私は色々考える。
このご投稿の真意、目的はなんだろう?何を言いたいのだろう?とか、この方はどういう立ち位置の方なのだろう?とか。そもそもどうしてこのご投稿を余命さんは上げられたのか?とか。もう色々の思考が、物の見方が私に訪れる。
そして『基本的スタンスは不偏不党の非営利ブログである。』と仰っているでしょ。特定の主義主張に捉われず、常に公正公平、且つ自由で柔軟な思考、発想を読者さん皆さんに求め、育てる事をなさっている。
物事を独自に判断する力を鍛え、事象を物事を見極める目を成長させてくれる。それはやがて大切な事は一体何なのか、一人の日本人として何をすべきか、の思考に繋がってゆく。
また非営利で金銭的利益を求めない事は、不偏不党な余命さんチーム自身の信念の表れだし、その表明でもある。
だからその確固たるお考えの元にあげておられるご投稿の削除要請は、読者さん皆さんの判断を鍛える為の場を過程を妨げ、ちゃちゃを入れる事になる。
と、自分は理解しているけどね。まあ私の勝手な考えだから思いっきし間違えているかもだけど。
でもねえ…一方で、いつも読者さんを思い日本人を思い、日本再生の目的を真摯に目指してらしてる信濃さんのお気持ちも仰る事も、よく判るのだよね。実際自分も幾つか読んで、かなり思う所があったし。
でも余命さんチームのお気持ちは何よりも理解出来るし、それは当然に一番に考えるべき事だし。何よりも守るべき大切な過程だし、何よりも優先すべき事だし。
まーでも信濃さんには前に機会があってお伝えしたのだよね。
日本国民恐喝恫喝脅迫用「落とし前はつけてもらうからね。(^ー^)ー☆」「落とし前はつけてもらう」「落とし前」【落とし前】やくざ文言ささき弁護士さんと似たり寄ったりオラついたお仲間さん連中のお手軽ツールTwitter騒動時の時。以下がそれ。↓
『それから昨年のお二人の太郎さん騒動?の時もそうですが、今回も信濃さんの行動の結果、読者さん皆さんの結束が益々強まったと自分は感じました。
昨年と同じく結果、信濃さんのおかげですね。…すみません。それに自分ごときがこんな判った様な事を云うのも甚だ失礼と知ってはいますが…でも自分の正直な気持ちですし正直な感想です。
尤も今回の出来事の舞台は余命さんブログでは無くツイッター上でしたので昨年と違って、余命さんの意図?なさる所ではなかったと思いますが。
余命さんも、ご自身のコントロール?外な違う舞台での出来事だった為に暫く様子を見られ、そして収束不可なわちゃわちゃ状態になってしまった為、一喝による熱冷まし?熱覚まし?が必要とお考えになり、そしてあの余命さんの一喝な信濃太郎さん記事出稿として収束なさったのかと、自分は思慮が足りないながらも思いました。
そして自分が改めてそこに見たのは、余命さんの揺らぎない信念です。余命さんの中で明確ではっきりした日本再生の到達点?到着点?な目的がある。その為にはたとえ同じ先を目指し、同じ志を持つ人間でも、余命さんの道筋にちゃちゃを入れる事になるのならば、邪魔をしないでくれと注意を促すし、どいてくれとわざと強く跳ね除ける。また邪魔されない様に、成るべく時間を浪費しない様に、強く跳ね除ける。
…この表現が合っているかは判りませんが、お伝えしたい自分の思いは判って頂けますでしょうか。これもまたある意味、日本再生の為の権謀術数な手法?と思っています。
重ねて書きますが…余命さんの今までの…想像すらも出来ない…過酷なご経験…そして余命さんの残りの人生全てを懸けた戦い。
その為にはたとえ同じ思いの人間でも邪魔をする形と成ってしまうのなら、どいて下さいと、邪魔をしないで下さいと、確かで強固なご意思を以てわざと強く、跳ね除ける。同じ事をまた繰り返されて邪魔をされない様に。
そして更に云うなら、読者さん皆さんと信濃さんとの熱い(&厚い)固い信頼関係もご存知だし、余命さんご自身もその信頼関係を信頼なさっているからこそ、あの様な一喝も出来ると余命さん、きちんと判っておられますし。
上に書きましたよね、読者さん皆さんは余命さんも信濃さんもどちらもお好きだって。どちらも大好きなのだって。その事、余命さんはきちんと判っておられますから。
本当、余命さんを甘く見てはいけませんね。』
↑余命さんのお考えなんか自分ごときが判りようも無いのにちょーナマイキ言って恥ずかしい。でも正直な思いだったからさ。今でもそう思ってるし。仕様が無い。
それからさ、最近の瀬戸さんのブログ見た?関西で連帯ユニオン糾弾に奮闘なさっているでしょ、記事もたくさんアップなさって。そしたらコメント欄が凄いのね。それまでのコメント欄が様変わり。やっぱり『核心』を突く活動にはああやって出張ってくるのだなって。
余命さんへのずっとの攻撃はまさにそう。日本人の為の『純粋』且つ『核心』を突く活動をなさっているのを察知しているから。しかも余命さんへの攻撃の工作員て質がレベルが高いのだよね。それだけでも余命さんの活動が相当な脅威だって判る。
しかし瀬戸さんのブログコメント欄、あれ考えると…余命さんブログへの投稿、私達読者の知らない投稿の裏側の舞台、一体どれだけの工作員やら連中の誹謗中傷が来ているのだろうと思うと…それだけでも胸がつぶれてしまう。
きっと自分なんかは耐えられないだろうな。自分なんかすぐに潰れそう。
言葉の力はとても強い。心を抉られるし、時には生きる力も削がれてしまう。
でも余命さんとスタッフさんみなさんはなんにも仰らない。愚痴一つ仰らない。
かと云って工作員系の投稿はきっと投稿者や周辺情報収集として有益だろうし、読者さんを鍛える用、他で有効なのは掲載的お使いになるだろうし、諸々鑑みても投稿規制はなさらないのだろうなとも思う。そもそも余命さんチームは規制や特定の人間の受け付け不可を物理的にはなさらない気がする。
『1484 2017/1/17アラカルト』ではスタッフさんが、
『匿名記事について
.....最近、匿名での投稿が激増しております。なりすましも同様です。連続投稿のあらしもありますので、かなり乱暴に処理しておりますがご了承をお願いします。
事務スタッフより。』
とお書きになっていた。激務なのと荒らし系大量投稿へのご対応で『かなり乱暴に処理』となったのだろうけど、でも禁止にはなさっていない。
再投稿の嵐(←これ普通の方なら完全投稿禁止にするとんでもないレベル)やらアホな投稿やら過去色々散々しでかした自分も、未だ思いっきし出来てる。
だから上にある様な信濃さんへの、
『これについてスタッフ一同、慎重に検討した結果、以降、氏の投稿は受け付けないこととした。以上はお知らせである。』
の様にお言葉と態度でお示しにはなられても、本当にブログへの受け付け禁止にはなさらない(と思っているけど)。信濃さんの様に日本再生を目指す同じお仲間な方だけじゃ無い。今までもあったよ、反余命さん反日本工作員投稿への余命さんの言い渡し。
でも工作員連中はともかく、先ず同じ日本再生を目指すお相手の場合、その後のお相手の反省?弁明?復活?新たな思考?の機会もお待ちになっている。
余命さんは単にお相手に言い渡しをなさるのじゃ無い。その事によって言い渡されたお相手のその後の反応と、更に読者さん皆さんの様々な反応を流れを展開を見てらっしゃるからね。(信濃さんは一度目に言い渡された後、見事に復活なさっていた。)
余命さんはそんな単純行動はなさらない。必ず事象を流れを見据えて行動なさる。余命さんはいつも一石二鳥どころか、三鳥四鳥もより多くも狙い、未来を見据え、実際に実行までするお方だからね。余命さんを甘く見てはいけない。
だからこれもまた、余命さんの指導の一環であり、日本再生の為日本人覚醒プロジェクトの為の流れの一つかなって思う。
上に書いてあるでしょ、『これもまたある意味、日本再生の為の権謀術数な手法?と思っています。』って。(←良い意味での権謀術数。他の的確な表現を知らないのでこの単語を使っているだけ。)
『それから昨年のお二人の太郎さん騒動?の時もそうですが、今回も信濃さんの行動の結果、読者さん皆さんの結束が益々強まったと自分は感じました。』と書いている。(勿論それだけじゃ無いけど。)
だからその後がどの様な流れになろうとも、決して無駄にはならない事を余命さんチームはなさっていると私は考えている。
本当ならさ、余命さんはさ、安泰で安らぎな人生の時間を選ぶ事も出来たのに。なのにご自身のお金をつぎ込み、人生の時間をつぎ込み、身をお心をすり減らして。ずっと頑張っている。
でも文句お一つ仰らず、少ない家賃収入と貯金で支えてらした事もまるで仰らない。
なのに誹謗中傷まで受けて。なさっている活動が活動だから、そんなのが表れるのはやっぱり必然だったにせよ。
ご自身の何もかもをつぎ込んでまでやっておられるのにさ。本当酷いよ。人権侵害だよ。許せない。
初代余命さんかずさんがお亡くなりになったあと、余命さんブログは閉じられるはずだった。でもかずさんをお手伝いなさっていた学生さん方が「お金じゃないよな」と再開なさった。かずさんのご遺族のお心も再開を望んで下さった。もう四年以上になるのね。かずさんから始まってもう五年半以上になる。尤も私は2015年前半からの読者だけど、もうだいぶん昔に思える。
偉大なる初代かずさんの、ご自身のお身体と戦いながらのお志から始まった、日本人覚醒プロジェクト余命さんブログ。かずさんは知的レベルが超お高いのがとても判るお語りながら、所々で垣間見えるチャーミングな表現がとても可愛らしかった。どんな素敵なお方だったのだろうって色々と想像したっけ。本当大好き。
お優しい口調ながら文章のあちこちに散りばめられた確固たるご意志をお持ちのお若い二代目さん。
攻撃的な文章とは裏腹の、そのお優しいお心から…悲しい事になられてしまった三代目初代さん。そして現余命さん。
代々の余命さんのおかげで、そしてその代々の余命さんを慕う読者さん皆さんのおかげで、こんなに続いている。
そして現余命さんがずっと貯金でお支えになり、そしてもう三年近くも、余命さんブログの半分以上の月日を、現余命さんが支えてらしてる。
………本当はもうとてもお疲れになっているのかも知れない。私なんかが勝手にこんな事を云うのは僭越だし失礼なのは判っているけどさ、でもやっぱりどうしても思ってしまう。なのに文句も愚痴も不満もなんにも一切私達には仰らず。寧ろ読者さん皆さんを気遣う事ばかり。読者さん皆さんを励まそうと前向きな事ばかり。日本人にとってネガティブな事は何一つ仰らない。
あとさ、余命さんてご自身がどう見られようと全然気にしないのだよね。人間が大きすぎて心が広すぎて、ホント細かい事に一切こだわらない。有る事無い事言われても、勝手に事実を捻じ曲げられても、それ嘘じゃん最早嘘じゃんな歪曲や誇張をされても。そもそもご存知無さげだけど。余計な事象は雑音はどうでも良いし興味無い方だから。
昔からそう。だからそう云う目先の事なんか全然どうでも良くて。日本再生の目的に必要な事以外の雑音には興味無いのだよね。(目先ばかりの小物な自分はそう云うのについやきもきしてしまうのだけどさ。)それに多分ずっと相手しても切りが無いって判ってらっしゃるのかも。
(四季の移ろい)