余命三年時事日記 ミラーサイト
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2016-07-24 09:55
1082 寄付金メッセージ42(0)
引用元のソース

ソメイヨシノ
余命様、PTの皆様方、いつも日本国並びに日本国民の為にご尽力頂き、本当にありがとうございます。
すみれの会に引き続き、日本再生大和会へ7月12日に郵貯銀行から少額ながら寄付させて頂きました。
こちらの情報
振り込み名義はハタナオコになってます。
奉納して頂きたい者は、祖母の弟です。
以上となります。
祖父母はじめ両親等も併記して頂こうか迷いに迷い、ご連絡が遅くなりました。またの機会に併記お願いするかもしれません。その折は、よろしくお願い申し上げます。
 余命様、命を大切になさって頂きたく存じます。
こちらに集う皆様方といつか必ず日本の夜明けをみたいものです。
希望を、そして勇気を下さり、本当にありがとうございます。
.....66P10行へ記載させていただいた。

ita
皆様お疲れさまです。
13日に3万円振込ました。
名前等、このコメント欄に記入すれば良いのでしょうか?
.....この欄にどうぞ。

浅き夢見氏
余命様、余命スタッフの皆様お疲れ様です。
遅くなりまして申し訳ありません(-.-#) 併記をどのようにしようか逡巡し、決心がつきませんでした。皆様の投稿を読むにつけ、少々焦りました(^^;)
やはり、私が在るのはご縁を紡いだ方達が居てこそであり、子供へと繋がる事を思えば輪廻の鎖の一つとしてお願いしたいとの思いに至りました。多いと判断されましたら、実際に暮らした祖父母までを遡って頂きましたら充分で御座います。祖父も父も、修羅の中に身をおいた戦友達にこそ話せる事も有る様に思います。きっと、子や孫に見せた事もない顔で再会を喜んだりするのでしょう。散花した戦友に対する想いは私達には推し量れませんが、後生大事に抱えて来たのではないかと思える事はあります。
 先人の為してきた事に想いを致し、国が国として在るのは決して偶然や外から与えられるもので無いことを肝に銘じ、心して生ききらなければならないでしょう。
よろしくお願いいたします。
 前夫の父親は終戦間際、軍属として南方の海に沈みました。神社の境内に立派なお墓は有りますが、公共施設内ですので単独です。靖国で御霊に寄り添う事が出来ましたら姑もさぞかし嬉しかろうと思います。生年月日は私では役所で聞く事は出来ませんでした(直系のみとの事)
分かりましたら追記でお願いするかも知れません(^◇^;)
.....みなさんご一緒に141p32行に記載させていただいた。

めた次郎
余命様、関係者の方々、余命読者の方々、日本の為に日々の活動ありがとう御座います。
希望の持てるブログなので初代の時から拝見しています。まさかこんな形になるとはw
 それとBABYMETALを聴くきっかけを作っていただき感謝です。メタ太郎と言う曲を聴くと(観ると)英霊が笑っている様に感じるのは私だけでしょうか?w
 昨日7/12に少額ですが振り込みいたしました。
少しでもお役に立てれば幸いです。
.....142p29行に記載させていただいた。

山ゆりのごとく
余命様 スタッフの皆様暑い中いつもいつも有難うございます。
パソコンが故障しまして3週間弱メーカー修理に出していた間に大変な事に成ってました。日本再生大和会の振込先を探すのに必死でした。少額ながら本日(7/14)振り込みを致しました。
 前回義父の併記をお願い致しましたが、まだ覚醒半ばでどうかなとは思いますが家族の併記もお願い致します。お手数をお掛けして申し訳ありません。
以上です。
これから益々暑くまた忙しく休む暇も無いかとは思いますが、どうか皆様たいせつな方々ですご自愛下さいますようお願い致します。
.....みなさんご一緒に前回ご寄付78p40行に併記させていただいた。

とっしー
余命翁様
7月13日15時30分頃、日本再生大和会様宛に些少ながら振り込みをさせていただきました。
ご確認のほど、よろしくお願いいたします。
余命翁様
いつも大変お疲れさまです。
過去2度投稿させていただき、655では掲載いただきました「とっしー」です。
「今、自分にできることをひた押しに」ということで、諸々準備中です。青林堂様とも一度お目にかかってお話させていただきました。
「日本人の1割を覚醒させる」お手伝いができれば、と考えております。
まだまだ力及びませんが、決して諦めずに進んで参りたいと思います。
ご自愛のほど、お祈りいたします。
.....142p16行に記載させていただいた。 1

オオトリ
オオトリで12日の昼過ぎに振り込みました。一口の、3です。以上、ご報告致します。
.....情報不足だよ。再送信をどうぞ。

白蛇
余命様、スタッフの皆様、有志読者の皆様、いつも貴重なお話有り難うございます。
 私は昨年、齢40超えにしてやっと目覚めた遅れ咲きの者ですが、おかしいと思いつつ、ずっと悶々として年月を重ね、皆様との出会いで完全に目覚めた次第です。
 日本のために何かしたいと思っておりますが、自分の意思とは裏腹に、現況は訳あって思うように表立って動く事が出来ず、ずっと歯がゆい思いをしております。
今回のお話を知り、自分に出来る事は少ないが、日本再生の一助になればと思い、振り込ませていただきました。
お役に立てれば幸いでございます。
.....142p18行に記載させていただいた。

イデアパークス
余命爺様、スタッフの皆様はじめまして、イデアパークスと言います。今回僅かですが協力させていただきました。すみれ会の時も協力したのですが、市井の一日本人のままが良いと思い連絡しておりませんでした。しかし、それでは確認出来ない振込がいつまでも残りスタッフ様の迷惑になると思い今回まとめて連絡いたします。
すみれ会の方は多分5月26日だったと思いますが、ナカノヒロユキで三井住友銀行十条出張所から1万円送金しました。大和会は本日同じ銀行、名前、金額で送金しました。
当初は名前の奉納は辞退しようと思っていたのですが「立場が人を作る」との言葉に習い、靖国神社に名前が残ることでこれからの人生を英霊の方々に恥じない生き方をする誓いとするためにもお願いしようと思い直しました。
尚、その際、祖父と妹も一緒にお願いします。祖父は満州からの帰還兵でしたが、私が中学生の時に亡くなりました。生前はお花畑教育を受けている真っ最中のため、祖父の話を全く聞いた事が無かったのが今になって悔やまれます。命をかけて日本を守って来てくれたこの祖父達を現在進行形で悪人にしたてあげ貶め続ける売国奴共に反撃の機会を与えてくれた余命の皆さんに心から感謝しています。
ここから情報です、
.....みなさんご一緒に142p20行に併記させていただいた。
宇都宮のいづみ
5/26すみれの会、7/11日本再生大和会に振り込みさせて頂きました。機械音痴には、なかなか送信ができませでした。
画像認証を検索してやっと意味がわかりました。
これからも応援して行きますので頑張ってください。
.....前回ご寄付126p1行に併記させていただいた。

HN:ああ
.....了解した。

沙羅双樹
余命様・スタッフの方々、はじめまして
初代様の時から拝読させていただいています。
今日7月12日に入金しました。
私には二人の子供がいます。
来年上の子が大学受験、下の子が高校受験なので合格祈願も込めて、少額ですが参加させていただきました。
英霊の方々と余命様に願かけです。笑
子供達が社会人になる頃までには、少しでも綺麗な日本である事を願っています。
趣旨が違っていたら申し訳ありません。
暑くなってきました、お身体にはくれぐれもお気をつけて下さい。
.....情報不足だよ。再送信をどうぞ。

pon
本日、7月11日大和会へ振り込みいたしました。
尚、5月26日すみれの会へも、同金額それぞれ振り込み致しました。
先日、803のファイルへコメントしてしまいましたので、併せて削除願います。
お手数お掛けしまして申し訳ありません。
.....142p27行に併記させていただいた。

うがみんしょうら
余命様、スタッフ様
いつも貴重な情報をありがとうございます。
2016年4月1日投稿の552朝鮮事案⑦によると「2016年までに、北朝鮮のソウル侵攻第一撃である長距離重砲の射程外の距離の平沢に移転する」とありましたが、2016年7月20日の朝日新聞デジタルに…引用開始…
前線の在韓米軍、初の後方移転 他紛争地域の投入狙う
 在韓米軍の主力は2004年の米韓合意に基づき、ソウル北方の東豆川と議政府(ウィジョンブ)への集約が完了。今後、北朝鮮の脅威に備えた一部の部隊を除いて平沢に移る。在韓米軍司令部があるソウル中心部の竜山(ヨンサン)基地の一部機能も5月から平沢に移転を始めた。ほとんどが2017年末ごろまでに移転を終える見通しだ。
…引用ここまで…
余命様のご指摘通り、米軍の完全撤退準備が目に見える様になってきたのですね。
7月22日、少額ですが「日本再生大和会」に振り込みいたしました。
これからも、お体に気をつけて、頑張ってください。
.....142p30行に記載させていただいた。

おひさま
おひさま
余命様、スタッフの皆様、日々お疲れ様です。
そして、いつもありがとうございます。
連絡遅くなりました。
「すみれの会」へ 5/30・6/23 郵貯より送金
6/23 送金分ですが、寄付金の受付終了に気付かず送金してしまいました。 申し訳ありません。
「日本再生大和会」へ 7/11郵貯より送金させていただきました。
微力ながら皆様のお役に立てれば幸いです。
夫婦連名にてよろしくお願いいたします。 
.....ご一緒に142p35行に併記させていただいた。

中野の愛国者
初代余命様の頃からの読者です。
余命様はじめ、皆様の有益な情報提供に、本当に感謝しております。
この度、大変些少ではございますが、7月12日に振り込みをさせていただきました。
何かのお役に立てましたら幸いです。
大変恐縮ですが、夫婦連名でのご登録をお願いいたします。
夫婦ともに現在の日本を憂いております。
日本の再生に、甚だ微力ながら力を尽してまいります。
宜しくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
.....ご一緒に142p38行に併記させていただいた。

フェスタ
余命様、そしてPTの皆様、いつも最前線での行動に感謝申し上げます。
昨日、すみれの会同様に日本大和再生会に少額ですが、お振り込み致しました。(時間外だったので、本日中には届いていると思います。)

さて、余命様のお言葉に甘えさせてもらいたく思い、今回は祖父、祖母、伯父、伯母、母も連記して戴けたらとお願い致します。
 祖父は昭和16年11月、まさに大東亜戦争の始まる約2週間前に、召集がかかり満州に向かいました。祖父は無線の心得があったためか、ご近所様の万歳の掛け声もなく、秘密裡に召集されたとのこと。
 祖母との別れのやりとりで祖母に「たとえ、お碗をこづいてでも子どものことを頼む」(たとえ貧乏になって物乞いをしてでも子どもたちを育ててくれとの意)と言い、ひっそりと戦地に赴いたと聞きました。私の母はその時祖母のお腹の中(翌17年1月生まれ)で、伯母と伯父はそれぞれ4歳と3歳でした。
 職業軍人では無かったので、2年間の任務で家族の元に戻ると思われてた祖母は、一日千秋の思いだったのではないでしょうか。しかし、戦況の悪化に伴い、満州で編成替えののち、門司港に立ち寄り(昭和19年6月から約2週間)祖国の地で鋭気を養い、台湾、マニラ経由で新任地にして最期の地であるボルネオ(インドネシアカリマンタン島)に向かいました。
 ボルネオでの祖父の主な任務は索敵とインフラ整備だったといわれています。後の帰還兵との遺族会では、祖父の亡くなる少し前に自分の配給されたわずかなお米をあげた祖父により助けられたと仰ってたとのこと。(祖父より若かったので、自分の分まで祖国のために働いて欲しいと伝えたそうです)
 当地で昭和天皇陛下の玉音放送を聞き、張り詰めたものがなくなったのかどうかはわかりませんが、マラリアにて病死とのこと。昭和20年9月1日、日本が連合軍に降伏文書調印の前日でした。(一応、公式な年月日となりますが、詳細は不明な部分が多いそうです)あと、ひと月健在だったら、連合軍に捕虜、労役ののち、翌昭和21年3月には祖国に帰還でしたが、実際には遺骨もなく、形見もなく、当地の砂のみの帰還でした。

 祖母は祖父が門司港に立ち寄った時に会っていないので、永遠の別れとなりました。その祖母は祖父の言いつけを生涯守り、一昨年暮れに息を引き取りました。しかし、祖父の言いつけを守るために、今では想像もつかない苦労をされたと、伯母や母が話してくれました。およそ、日本人とは思えない薄情な扱いを嫌というほど受けたとのこと。祖父との別れのほとぼりが冷めぬ間に、祖父の兄弟から追い出され(祖父には祖母を守るから安心してと言ってたにもかかわらず)、祖母の実家では穀潰し状態、祖母に再婚の話(伯母が再婚の話を聞いて、伯父と伯母が川に身投げするからと言い、まだ幼かった母と二人で再婚を勧めたそうです)もあったそうですが断わり、そのため祖母は休む間もなく働きに働き、伯母は祖母の母親への懸命な看病、母は知り合いに預けられ、差別され、体罰を受けてたと、聞きました。
 戦争を機に祖母の人生が幸せから一転どん底に落ち、母子離れ離れの生活しばらくありましたが、母子一つ屋根の下で(6畳一間のアパート)暮らすことができ、ようやく幸せな家庭を築いたのも束の間、伯父の結婚により壊れてしまったそうです。いわゆる嫁姑問題です。祖母の気が強い性格もあり、また、伯父の嫁も祖母を労わることができなかったそうです。伯父の結婚により、姉である伯母は小姑となる気兼ねのために翌年慌てて結婚、祖母と母との二人暮しとなりましたが、それなりに幸せだったそうです。やがて、母も結婚し、一人暮らしとなり、老人ホームに入り、病気を機に病院にて生活することとなりました。
 老人ホームは、2度居を変えていますが、2度目の時に親族が集まって祖母のこれからを話し合う親族会議(壁ひとつ隔てたところに祖母がいました)の際に、伯父の家で面倒を見る見ないで、醜い言い争いをした結果伯父の身内(伯父は入院中でした)には断られました。そして伯母と母が面倒を見ることになり、孫の私も最大限協力をすることになりました。(おばあちゃんっ子だった私は祖母のことが大好きでした。毎年ではないですが、夏休みに一人で暮らしていた頃の祖母のところに行くと、それはそれは喜んでくれて、毎日が楽しかった思い出が昨日のことのように浮かびます。)といっても、2か月に一度の間隔で東京富山の行き来でしたが、私も仕事を休んでのことでしたが、家庭への幸薄い祖母に最期ぐらいは身内に囲まれた中で、僅かでも家庭の温もりを感じて欲しいとの思いからでした。祖母の相もそれまでの長い一人暮らしの故の険しい面持ちから徐々に柔和になっていく中で最期を見届けることができました。心残りは、もっと祖母と祖父の話を聞きたかったなぁと思います。そして、昨年3回忌を終え、そのご褒美なのか覚醒し、今年の正月には生まれて初めて靖國へ行き祖父や英霊に感謝の想いを伝えることができました。
 以上、大変長くなりましたが、祖国を想い、母子を想いながら、立派に戦った祖父、祖父との別れで気丈にならざるを得なかった祖母、苦労した伯父と伯母、母を是非とも祖父が眠る靖國へ再び相見えることをよろしくお願い致します。
お手数をおかけしますが、重ねてよろしくお願い致します
.....143p1行にみなさんご一緒に記載させていただいた。

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