余命三年時事日記 ミラーサイト
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2016-07-14 21:50
1034 寄付金メッセージ30(0)
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k.k
余命様、スタッフの皆様日本再生の活動いつもありがとうございます。
 7月12日に日本再生大和会に5000円地方銀より振り込みしました。また、継続して出来る範囲でですが寄付や官邸メールなど諸々の保守運動の力になりたいと思います。
 すみれの会にも5月26日に同額の振り込みをしましたがもしよろしければご確認お願いします。今回メールアドレスが変わりましたのでこちらもよろしくお願いします。
.....前回ご寄付の38p33行に追加、併記させていただいた

カリオペ
いつもありがとうございます。
ささやかですが送金致しました。前回は私の名前で登録して頂きましたが、両回とも母との共同出資です。
85歳母は、すみれの会の時にも自ら申し出てくれました。また現在、都知事選有権者の為「桜井誠さんに入れる!!!」とハリキッテおります。
お手数ですが2回分併記でよろしくお願い致します。
.....前回のご寄付60p31行に併記させていただいた。

日本に恩返し
余命爺様、余命スタッフ様
日本再生大和会への寄付を、ゆうちょ銀行以外の銀行より振込いたしました。
振込の受付日は、本日7月10日です。
大東亜戦争を経験した、今は亡き、父と母にも、きっと喜んでもらえると思います。
以上よろしくお願いいたします。
.....みなさんご一緒に120p15行に併記させていただいた。

HNを島也に変えます。
今日『日本再生大和会』に少ない額ですが一回目の入金いたしました。
来月以降も出来れば定期的に入金していきたいと思っております。
なお奉納記帳の件ですが、母・麗子もご記帳お願いできますでしょうか。
 母は満州鉄道勤務の父親と家族共々大連から引き揚げてきたのですが、頭を丸め男服を着て命からがらの脱出だったと言います。父は内地の田舎町にいて大陸に残された日本人の混乱と惨状を体験していません。能天気にも左翼にシンパシーを持ちつつ新聞記者になりましたが、母はそんな父と政治・社会に関することではことごとく対立していたようです。
 父は最期まで左翼シンパのまま(一応ジャーナリストは党派に属してはならないという矜持は保っていたようでしたが)でしたので、記帳に名を連ねるには無理があると思い、母だけでもお願いしたい。
 という私自身も東日本の大震災までは、中立を保つといいながらいくらか左寄りだったと思いますが、震災でいろいろ調べている内に日本人として目が覚めた者です。まだまだ怪しげなところもありますが、余命様や、仲間の方々、その他諸々の方々の発言・意見などを耳目に叩き込み、ぶれることのない『日本人』となりたいと思っております。
.....120p21行に併記させていただいた。

裕治
.....前回ご寄付の20p27行データで確認。併記させていただいた。

まお
信濃毎日新聞社説 川崎デモについての投稿から、二度目の投稿です。
長野県の大手書店 平安堂
平安堂長野店 余命1は、冊数は少なかったですが発売日にありました。
何度か見に行きましたが、冊数も増えて今もあります。
HBも、少ないながらも発売日にありました。
4階平台と政治コーナーに、数冊置いてありました。
 余命2から、扱いが変わりまして2階の新刊コーナーに余命本3冊と目立つ位置に約8冊、4階平台の目立つコーナーにも約8冊。青林堂の人気本各種と共にありました。
シールズなどのサヨク本も、目立つように並べてましたが、初版しか見た事がありません。
 平安堂 川中島店
支店ですが店舗面積も少ないので、元々の冊数が少ないです。
余命本全て発売日に2・3冊、入荷してました。
両方の店舗とも、数に変動が見られますので順調に売れてると思います。
百田氏著の『カエルの楽園』は、もっと目立つように冊数も多く置いてました。
もっと早く報告しなければと思っていたのですが、時間が取れず遅くなってしまいました。
毎日、余命ブログを読んでます。励まされています。
体調に気をつけて、頑張って下さい。
.....120p25行に記載させていただいた。

たかくらじ
初めてコメントさせて戴きます。 7月12日に入金しました。
初代爺様からの読者です。
数年前に海上自衛隊を定年退官した者です。日本再生の為に少ない金額ですがお役にたたれるように思います。
東北の被災地の出身でこの度の選挙の結果には、残念な気持ちがしております。何とかならないのでしょうか?
気持ちを入れ替えて、これから過ごしていきたいと思っています。
もし宜しければ、戦前の住所地での登録をお願いします。
.....120p29行に記載させていただいた。  

小室
すみれの会に続き10000円寄付させて頂きました。 よろしくお願いします。
.....前回ご寄付68p29行に併記させていただいた。

渡部陽子
貧者の一灯
おはようございます!
余命翁さま!プロジェクトチームのみなさま!
「日本再生」へ希望を与えて下さいましてありがとうございます。
6人の孫たちが胸を張って幸せに暮らして行かれる日本
生まれて来て良かったと思える美しい日本
安全・安心で楽しく子育て出来る日本
 日本を日本人の手に取り戻す時、この時に私も此処に居る事が出来ました事を感謝致します。昨日7月11日「日本再生大和会」へ一口ですが振り込ませて頂きました。「行動する保守運動」へも貧者の一灯を捧げました。
後何年生きていられるか?出来れば、綺麗になった日本をこの目で見たいと願っています。
 今回は生後5ヶ月で亡くなった次男と、戦中戦後の苦しい中を一生懸命に生きて、私を育ててくれました両親も一緒に、靖国神社に奉納して頂きたいと思います。宜しくお願い致します。
宜しくお願い致します。
.....みなさんご一緒に38p32行に併記させていただいた。

AIKOKU
先日は投稿をとりあげていただきありがとうございました。
本日「日本再生大和会」へ少しばかり寄付させていただきました。
国民の休日に日の丸の国旗がたなびく、子供の頃の風景がなつかしいです。反日外国人や反日日本人のいない「美しい国日本」を夢見ています。
 実は、私の亡き父は天皇陛下をお守りする近衛兵として、皇居で終戦を迎えました。
幼いころから先人の犠牲のうえに今の日本があるから一度は靖国をお参りしなさいと聞いてましたので、リタイヤした年、はじめて靖国神社に行きました。
 門をくぐった瞬間、涙がでました。もっと早く来るべきだったと後悔しました。命を落とした戦友もいたそうです。あの世で喜ぶと思いますので父の名前も併記をお願いします。
.....120p38行に併記させていただいた。

りんご
7月9日
夫名義の口座からわずかですが振込させていただきました。
朝ブログを拝見して、鳥肌が立ちました。
少しでも日本の為に活動できることに喜びを感じます。
子供がうまれ、この子達が大きくなる頃の日本に希望を与えたい。
日本人の誇りを持たせてあげたいと心から願うようになりました。
まだまだ夫を覚醒させるのは時間がかかりそうです、、、。
今回はわたしのみの記帳でよろしくお願いいたします。

山葵の里老人です
1,000回、おめでとうございます、1回から3兄弟迄全読破です。
 今回の応援主旨から外れるかもしれませんが。
 私と姉は満州生まれ、父は満鉄、シナ語の通訳と英語が出来た様です
シベリヤ送りに成ったそうですが、割と早くに帰国したとの事。
 父は事前に敗戦濃厚の情報を得て居た様で、母が、私と姉を連れて終戦半年前に一足早く引き上げて来、大地の子に成らずに済みました。
 帰国後は、横浜は危ないとの事で長野の山奥に疎開致しました。
 伯父はインパール作戦で戦死していますが、父からは戦時の満州の事シベリヤ抑留の事、又伯父がどの様に戦死したか等何も聞いて居りません、今思えば、聞いておけば、、、と悔やまれます。
 大和会様宛下記の通り些少乍ら協力させて頂きましたので、妻他、父母と伯父も併記して頂ければ幸いです。(10日送金、11日入金、かと)
前回の保守系か、どちらか一方の掲載で結構です。
No,862で妻の併記に「了解」のご返事を頂いて居りますが、登録ページを頂いて居りません、又確認方法も判りませんので、お手数をお掛け致しますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
.....前回ご寄付の69p8行に、みなさんご一緒に記載されている。

Toscanini
本日、前回のすみれの会同様、大和会に振り込みました。
 亡き両親と家内の名前も併記していただけたら幸甚です。
 私が1歳の時に父は応召。終戦時には北朝鮮の羅南憲兵隊に所属し、侵入してきたソ連軍によりシベリアに抑留されて、そこで死亡しました。母は東北の貧しい寒村で僅かばかりの田畑を耕しながら、我々2人の兄妹を育ててくれました。
 私の晩年に「余命3年時事日記」のブログを知り、毎日の官邸メールを通して微力ながらも日本再生に貢献できることを衷心よりありがたく思っております。
余命爺様をはじめ、皆様のご活動に感謝申し上げます。
.....みなさんご一緒に15p3行に併記させていただいた。

うし
7月11日に、小額で恥ずかしながら振り込みました。
 余命さんにお伺いしたいのですが、日本再生大和会同志には、広島県民も沢山いますか? 広島は被爆地の故か、義務教育中の人権・平和教育が非常に多かったです。スイス民間防衛の「戦争をせずに国を侵略する方法」の第3~第5段階をたっぷりと体験した感じです。肝心の授業は退屈で、子どもながらに納得のいかない部分が多く、全く染まる事はなかったですが。
 大人になって、小泉政権あたりから、世の中がおかしいと感じ始めました。危機感からか、本能か、なぜか胸がざわつく日々の中、インターネットで様々な情報を取捨選択出来るようになって、初代爺様の慧眼に触れました。
 外来種や売国奴から日本を守らねば!と強く思っております。広島にも仲間がいるかなー?と思ってお尋ねしました。ココは入金情報のみ記載する場のところ、駄文書いて申し訳ありません。お忙しかったら遠慮なくスルーしてください。
.....あくまでも手元にあるすみれの会と大和の会でざっとソートしてみた限りではかなり低いようだ。最も余命の母集団は当てにならないから、参考にもならないと思うがね。
12110

匿名希望
余命爺様、スタッフの皆様方
 いつも有難うございます。毎朝新聞より先に拝読しております。
些少ですが、7/10付けで郵貯銀行より振り込み致しました。
亡き祖母の氏名を併記して頂きたくお願い申し上げます。

12112
以下は読み捨てて下さい。

 生前の祖母と、随分昔に時交わした会話です。
「酷い犯罪が増えたのは、先の戦争があってその後からや。戦争前は皆貧乏で物も少なかったから泥棒みたいな軽い犯罪は今より多かったけども、殺人なんか滅多になかった。」
「戦争があると、終戦しても暫くはその国の人心が荒廃するって言うからそのせいやろ。」
「終戦になってもう50年以上、食べ物にも不自由せん世の中が続いとるのにか?」
「遠くで起きた事でも、酷い事件ほどテレビが面白半分に何回も放送するから、真似する人も出てくるし回数も多いように思うのでは?」
「いくら昔でも新聞はあったぞ。」
「……。」
 祖母の妹は拉致被害者が出た漁村へ嫁いでいたので、祖母も何かの噂を耳にすることがあったのかもしれません。今となっては確かめようもありませんが、子供の頃夕方薄暗くなるまで外で遊んでいると、袋に詰め込まれて攫われるとよく叱られたものです。十年程前、若気の至りで主人と中国を旅行した時には、夫婦二人とも攫われたらどうすると心配させました。私たちが帰国するまで毎日仏壇を拝んでいたと母から聞き、そんなに心配しなくても大丈夫なのにとその時は思いましたが、今振り返ってみると祖母が正しかったです。
 同じ日本人同士が傷つけあう様子に心を痛めていた祖母に、一言だけでいいから伝えたいです。「…それは本当は日本人ではなかったんだよ。余命三年時事日記というブログがあってね。」

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