ここ5年で5人の親友が亡くなった。そのうち3人は癌だった。皆、ヘビースモーカー、お酒大好き人間だったので、約70年そんな人生を過ごしてきたツケだといわれてしまえばそれまでだが、30年来のつきあいだっただけにとても寂しく残念に思っている。
奇しくも、この3人ほとんど同時期に癌がみつかり、同様に余命3年を宣告されている。
そして闘病むなしく余命3年を全うできずに2年ほどで世を去っているのだが、その直後なんと小生が余命3年を宣告されたのである。もちろん本人にではなかったがすぐにわかった。
30数年何回か歯医者にかかっただけ。たばこもお酒もほとんど飲まず暴飲暴食など無縁の者が肺、胃、肝臓が皆だめだという。自分の体力と生き様を過信しすぎていた。抜かったという思いだった。
一族の医者、次郎に余命3年の意味を尋ねてみた。「自分は癌の専門医ではないから余命についてはよくはわからないが、少なくとも治療の最善を尽くしてもそれまでという意味だと思います。5年生きる可能性の患者に対して3年はないでしょうから、もって1年か2年だろうから3年にしておくか。まあ、こんなところでしょう。」小生のことだといわなかったせいか、実に冷たくあっさりした返事だった。
友人3人の闘病生活、治療しているのに日増しに生気が失われ、死ぬために生きているような状態になって亡くなる。本人はもちろん家族にとっても大変なことだ。
そこで「放っておいても3年、治療しても3年の寿命なら、好き勝手にいこう」という結論を出した。いざダメとなれば癌保険4口、生命保険2口で1日9万円。これも楽しみだ?
今、検査にはたまに行くが治療は受けていない。そして1年がたった。あと余命2年だ。しかし毎日健康そのもの、検査では確実に悪化しているようだが自覚症状はない。余命3年を突破すべく意気軒昂な毎日である。