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2017-11-25 21:00 0 comments

2049 第29回地方自治研究全国集会(0)

引用元 

ななこ
外国人参政権、住民自治基本条例、国籍条項撤廃、これらの国体崩壊を強力に推進してきたのが公務員労組の自治労のシンクタンクともいえる自治研です。調べれば調べるほど、国民の税金で公務として国体崩壊を実現まで悪化させた自治労の責任は絶対に追及されなければならないと痛感しています。今回は永住外国人参政権獲得について克明に記されたレポートを投稿いたします。

第29回地方自治研究全国集会「徳島市」
2002年10月29日~31日
【Ⅳ-2 部落解放・多文化共生・人権】
【代表レポート】
幸せになる権利の獲得をめざして
~永住外国人の地方選挙権を求める取り組み~
ttp://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_tokushima29/jichiken/4/4_2_04.htm
大阪府本部/大阪府本部・政治部長 池田高正
1.「幸せになる権利」の獲得をめざして
(1) はじめに ― 地方選挙権は「幸せになる権利」
永住外国人の地方選挙権法案は前通常国会で3度、継続審議となりました。この法案は21世紀に到来する多民族共生社会の実現、内なる国際化、豊かな住民自治の創造、戦後処理などいずれの観点をとっても必要不可欠で、外国籍住民の人権に関する基本法の位置を占める地方選挙権は、多民族共生社会を法制度面から確かなものとするために是非とも必要な権利です。
大阪での永住外国人地方選挙権法案(以下、地方選挙権と略)成立へ向けて取り組みの報告を行いますが、まず、私がこの取り組みを通して学んだこと、改めて考え直したことをお話します。それは福井参政権訴訟原告団代表の李 鎮哲(リ ジンチョル)さんが話された、外国籍住民の地方選挙権が、「幸せになる権利を獲得する運動だ」という新鮮な言葉でした。「幸せになる権利」、この言葉を聴いたとき正直、ドキッとしたというか、ある種の震えに似たようなものを感じました。私は今まで自分の知人や友人を含めて外国籍住民をこのような視点で、またそのような存在として見ていたのだろうかと。半世紀以上前に出された世界人権宣言は「人権は普遍的だ」と明文で謳っていますが、このことの意味を「人は皆、幸せになる権利の主体としては同じだ」と言い換えればいいと考え直しました。そこには国境も民族もないと。
(2) 戦略的人権擁護運動としての地方参政権
もちろん民主主義の原理のもう1つは、相互性であり、同じように相手や他人の人権を尊重しなければならないという側面を含んでいます。この2つを併せると「幸せになる権利」と「住民自治の構成員としての責任」ということになると思います。少し回りくどい話をしていますが、なぜこんな話をするかといいますと外国籍住民の地方参政権運動についてある市長が「ポピュリズム=大衆迎合主義」だという批判を行いました。私はこの言葉の意味をそれなりに考えてみました。この発言から、この市長が持っているナショナルな意識と啓蒙主義的な意識を差し引いて、現在の市民社会の状況についての認識とつなぎ合わせると、そこに残るのは住民自治と民主制への無理解ではないかというのがその結論です。
米原町の合併を問う住民投票に参加した外国籍住民が「やっと町の一員となった」「震えた」「米原町を誇りに思う」「自分も変われた」などといった感想を述べたと聴きましたが、住民自治とは本来こういうことだと思いますし、在日への差別ということを重ね合わせるとその感慨はいかばかりかと思いを馳せました。米原町の住民投票は広義には地方参政権と位置付けることができると思いますが、地方参政権や公民権が人権の基本であり、普遍的な権利であることは言うまでもないことです。
かつて、徐 龍達(ソ ヨンダル)桃山大学教授が「戦略的人権擁護運動ともいうべき地方自治体の参政権問題」と提言したように、この法案が在日をはじめ、外国籍住民の人権に関する基本法の位置、すなわち地方参政権運動が外国籍住民の権利闘争の画期をなす、あるいは運動の水準をバージョンアップするという認識をもって運動を立ち上げました。
事実その後の展開は、法案そのものは残念ながら成立していませんが、運動方向、あるいは運動の理念としては「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」が「多民族・多文化共生社会に向けて ― 包括的外国人政策の提言」を発表し、「外国籍住民の地方選挙権を求める連絡会」が「在日コリアン権利宣言」(岩波ブックレット)を発表するなど、外国籍住民の権利確立のたたかいが、国際人権諸条約、とりわけ難民条約や人種差別撤廃条約の批准、国際化に伴う外国籍住民の急速な増加などによって、新しい段階に入りつつあることを明確に示しています。このための運動論とこれを担う運動主体という課題については、後ほど大阪の経験を踏まえて触れてみたいと思います。
(3) 多民族共生社会と人権保障機構(自治体)
運動を立ち上げるにあたってのもう1つの問題意識は、自治労が提起している「人権保障機構」としての自治体という視点です。日本での部落差別撤廃と人権確立運動に最大のインパクトを与えた部落解放運動、そしてその結果としての自治体の人権行政の成果を21世紀最初の四半世紀の最大のテーマの1つとなる多民族共生社会の形成にどのように活かしていくのかという視点です。
この分科会でも日本社会の多民族化と人権をテーマに様々な角度から、様々な事例の報告がなされると思います。多民族共生社会の形成には、政府や国際機関、民族団体、企業、学校、労働組合、NPO、学者、弁護士、市民など様々な組織や個人がそれぞれに活動し、それぞれに努力をするということは当たり前のことですが、そのネットワークの拠点となり、基礎的なインフラとサービスを提供するのは自治体だと思います。結論的にいえば、地方選挙権確立運動と併行して自治労が、様々な自治体での実践や事例を集約し、民族団体や市民運動、NPOなどの協力を得て「多民族共生社会に向けた自治体の戦略」といったものを打ち出し、その実践をできるだけ早く始めて欲しいということです。大阪府本部でもこのような問題意識の最初の取り組みとして、6月に開いた府本部自治研集会で議論を始めました。
(4) ワールドカップと在日コリアン
日韓関係が急速に新しい時代に入っていることを象徴するワールドカップが終わりましたが、日本人の意識の国際化や多民族化という視点でこの間の日韓関係を振り返ると、まず韓国の民主化、そして韓国で開かれたオリンピック、金大中政権の誕生と極めて冷静な対日政策、北朝鮮への太陽政策、韓国の急速な経済危機からの立ち直り、そしてワールドカップと次々と衝撃を伴いながら急速に日本人の韓国に対する、そして、その延長上に在日コリアンに対する意識を変えつつあると思います。しかし、これらは主に韓国側のリーダーシップと努力にとって進められており、教科書問題や小泉首相の靖国参拝にみられるように日本のリーダーや世論があまりに韓国の世論や心情に無頓着であることに日本の現状があります。これはたぶん有事法制とともに対米外交以外ほとんど何も考えてこなかった戦後日本外交の敗北と軌を一にすることだろうと思います。
2. 地方選挙権法案の成立を求めて
(1) 大阪実行委員会の結成
定住外国人の参政権を求める運動は大阪から始まっています。1989年11月に在日イギリス人が、90年9月には在日韓国人9人が参政権訴訟を起こしました。
95年2月28日、最高裁は「地方自治体と密接な関係がある在日外国人の意志を地方行政に反映させるために法律改正によって選挙権を付与することは憲法上禁止されていない」と憲法判断に踏み込んだ画期的な判決を下しました。自治体での意見書や議会決議などの取り組みが全国に広がりましたが、地方選挙権を求める地方議会決議第1号は、93年9月9日に岸和田市議会で採択された「定住外国人に対する地方選挙の参政権など、人権保障の確立に関する要望決議」です。
また、大阪では、公務員採用に関わる国籍条項の撤廃や指紋押捺を拒否するたたかいに象徴される外国人登録法の抜本改正を求める運動、民族教育や社会保障、生活権確立など様々なたたかいが粘り強く続けられてきました。
このような運動を受け継ぎながら大阪から運動を起こそうと、2000年11月6日大阪市内で、大阪平和人権センター、部落解放大阪府民共闘、自治労大阪、大阪教組、部落解放同盟大阪府連が呼びかけ団体となって、「永住外国人の地方選挙権を求める大阪実行委員会」を結成し、上坂明大阪平和人権センター理事長、山田保夫部落解放大阪府民共闘議長、松岡 徹部落解放同盟大阪府連委員長、丹羽雅雄弁護士(RINK代表)の4人が共同代表となり、法制定に向けた運動を開始しました。
(2) 初発の問題意識と結成を巡る議論
当時、毎日新聞が行った緊急世論調査で58%が地方選挙権に賛成していましたが、しかし「ナショナルであり保守的な心情を含めて、地方選挙権そのものを認めがたいという広範な人々がいます。今回の法制定の大きな役割の1つに、私たちも含めた保守的な意識からの転換、すなわち『内なる国際化』を進めていく上での転機になるという大きな意義があります。だからこそ、法案そのものを成立させることとともに法案の成立を求め、促す広範な運動を進めることが重要だと考えています」(実行委員会結成文)と、できるだけ広範な世論に訴えることを目標として活動を始めました。
また、法案が被選挙権を含まないことや対象者が永住者に限定されているなどの不十分さを十分に認識しながらも、運動論として、焦点である地方選挙権法案の成立をめざす時限共闘として大阪実行委員会を発足させました。在日の民族団体間に意見の対立があることから、また地方選挙権の確立が日本の民主主義に関わる課題であるという立場で日本人の組織としました。在日の民族団体をはじめ外国籍住民とは等距離、政党とも基本的に全方位としました。もちろん連合大阪や民主党にも協力を求めました。自治労大阪府本部が在日本大韓民国民団大阪地方本部と協力関係を持ったのは初めての経験で、多くの人との出会いがあり、多くのことを学びました。
大阪での運動組織の立ち上げと平行して、法案の成立が全国課題であることから、自治労や平和フォーラムなどに働きかけて全国組織の立ち上げを要請しました。このような中で、平和フォーラムの仲介で、すでに2000年3月に結成されていた、「在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会」との協力関係が確立し、同連絡会と連携して東京での行動に取り組みました。
(3) 大阪実行委員会の取り組み
大阪実行委員会の発足以降、大阪から法制定を求める運動を創り出そうと、国会審議の節目に「地方選挙権を考える府民の集い」など大阪市内で1,000人規模の集会を3回開催し、「地方選挙権セミナー」や法制定を求める50万人署名活動、ビラ配布行動、大阪府内での地域集会、大阪市への申し入れ、在阪の政党への要請行動、マスコミ対策などに取り組み、国会での大阪選出国会議員への要請行動、議員会館で開かれた「外国籍住民公聴会」や日比谷公園での「地方参政権を求める中央集会」など全国各地の運動とも連携しながら、法制定を求める取り組みを進めてきました。
(4) 運動の前進と反対論(帰化論)の台頭
法案の成立を求める運動の盛り上がりと平行して、「慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」など法案への反対論が台頭してきました。法案に反対する人たちの主張は、「国政と地方自治は切り離せない」「地方といえども外国人に選挙権を与えるべきではない」「選挙権が欲しければ帰化せよ」 ― そして、外国籍住民に地方選挙権を与えないために日本国籍取得要件を部分的に緩和するという内容です。
日本人のナショナルな意識からすれば一見分かりやすい主張ですが、今、日本が直面しつつある国際化と多民族化にどう向き合うのか、本格的な地方の時代の到来と住民自治の成熟、国際的な人権基準、戦後処理などいずれの視点で見ても、内向きで、後ろ向きで、中途半端で、何とか「ナショナルなものを大切にしたい」という心情だけを表しているといえます。
まず、国政と自治が切り離せないという大日本帝国憲法的発想は論外として、外国人にとっての国籍の問題は、当事者が自らのアイデンティティをどの様に考え、保持するのかという選択の問題であり、住民自治と人権に関する地方選挙権とは全く次元が違う問題です。外国籍住民は同じ地域に住み、働き、学び、子どもを育て、買い物をし、生活している、地域に共通の利害関係を持っている住民です。特に在日コリアンをはじめとする旧植民地出身者は、いまではその多くが日本で生まれ育ち、地域と密接な関わりを持って生活しています。地方選挙権の意義は、外国籍住民が自らのアイデンティティを育みながら、地域に責任を持つ主権者として地方自治に参画することにあります。そして、外国籍住民と日本の市民が同じ住民として、お互いをパートナーとして、つまり同じ立場に立って「ちがい」を認め合うことが、豊かな住民自治と地域と生活に根ざした多民族共生社会を創り出すというイメージが欠落しているのです。
また、国籍を取り易くすることは世界の潮流で、国籍や民族の垣根を低くするものです。しかし、地方選挙権と対立して捉えるべきものではなく、本来、両方がともに推進されてこそ、内なる国際化が進むものです。国籍法については、提案されているような中途半端なものではなく、生地主義と重国籍を認める方向での抜本的な改正が必要だと思います。 このように「慎重な取り扱いを要求する会」などの主張によって、逆に国籍法の改正も含めた外国籍住民の人権についての全体像がはっきりしてきました。「帰化せよ」と主張する人たちに根本的に欠落しているのは、あたかも国籍が変われば、外国籍住民の民族性や習慣、倫理といったものを変えたり、無くしたりできるのではないかと錯覚していることです。在日コリアンなど旧植民地出身者の歴史性を差し置いたとしても、日系アメリカ人の歴史を思い起こせばすぐに理解できることですが、生活とか習慣とか民族性というのはそんなに簡単に変えたり無くしたりできるものではありません。また、自分ができないことを国家といったものを振りかざして他人に強制すべきではないというごく当たり前のことを理解していないのだと思います。
(5) 韓国での地方選挙権の動きと挫折
 一方韓国では、日韓首脳会談での合意を受けて、国会の政治改革特別委員会で定住外国人にも地方選挙権を認めることで与野党が一致(5年以上居住する20歳以上の外国人が対象)しましたが、法案は法司委員会で否決され、韓国が先行して地方選挙権を確立するという流れは挫折しました。
 この取り組みは日本の保守派が地方選挙権に執拗に反対する理由の1つにしていた「相互主義」を韓国の側から先取りして取り組み、日本に影響を与えるという政治的な決断の下になされたものと推測されますが、南北の軍事的緊張状況、韓国の民主主義の成熟度合い、日本による朝鮮の植民地支配といった歴史的経過を無視するものであり、相互主義を理由に法案の成立を拒否するのは本末転倒です。
3. 総括と展望 ― 多民族共生社会へ
(1) 運動の総括 ― 新しい関係と新しい運動スタイルを創り出す
地方選挙権法案は通常国会で3度継続審議となりました。これは大阪実行委員会をはじめ、私たちの運動の弱さとともに、日本人がともに地方自治を担う主体として、外国籍住民と向き合うことへの戸惑いを表していると総括できると思います。まず運動の成果としては、法制定を求める運動を通して、全国につながる様々な市民運動や民族団体、諸個人のネットワークと信頼が形成されました。このネットワークはこれからの運動に様々な可能性を秘めています。
しかし、運動の出発点で目標とした「地方選挙権という広く国民的な合意が必要な課題について、法案の成立を促す広範な国民世論の喚起」は結果としては実現できませんでした。主体的に総括すると、既成の運動の枠組みを超えて広範な市民の共感を呼び、巻き込むような運動を作り出せなかったと反省しています。これは私たちの努力不足とともに、既成の運動の限界をはっきりと認識し、広範な市民とのネットワークを創り上げるという新しい運動スタイルが求められているのだと思います。
同時に、在日の民族団体の意見の対立が運動の広がりを分断したという側面は否定できないと思います。確かに地方選挙権の確立は日本人と日本社会のテーマであり課題ですが、同時に権利獲得闘争として、「日本人と外国籍住民との新しい関係を切り開く」ために、日本人に強烈なインパクトを与える外国籍住民のたたかいが必要だと思います。運動的には日本人の運動と在日を中心とする外国籍住民の運動が立ち上がり、これが相互に協力し、共鳴しあって日本の世論に強烈なインパクトを与えるという関係を創り出すことが必要だと考えています。
(2) 地域で始まっている外国籍住民の自治への参加
国・永田町は時間が止まったようですが、地方は動いています。外国籍住民が各地域で広範に地方自治に参加し始めています。滋賀県米原町では3月31日執行された合併問題住民投票で歴史上初めて永住外国人が投票を行いました。また愛知県高浜市では常設型住民投票条例で永住外国人の投票権が確立しています。また鳥取県日野郡民会議での外国籍住民の委員への立候補権と投票権などの取り組みが広がっています。すでに多くの自治体で外国籍住民の意見を反映させるための「市民会議」や「有識者会議」などが設置されており、外国人も住民であるという当たり前の考え方が生活に根ざした地域の中から急速に広がっています。
(3) 急速に進む国際化と国際人権基準
いま日本は急速に少子高齢社会に向かっていますが、2000年に国連の人口部が発表した予測では、このままでは2050年には日本の人口が約2,000万人減少し、65歳以上の老齢人口が3割を越える超高齢社会となり、外国人の移民受け入れが不可欠だと予測しています。日本政府も2000年3月に発表した「第2次出入国管理基本計画」で少子高齢化のために外国人労働力が必要であり、また「長期にわたり我が国社会に在留する外国人の定着の円滑化」が必要であるとしています。
さらに、1995年に日本も加入した人種差別撤廃条約では、「あらゆる形態の人種差別を禁止し及び撤廃すること並びに人種、皮膚の色又は民族的若しくは種族的出身による差別なしに、すべての者が法律の前に平等であるという権利を保障することを約束する」となっており、この中には、政治的権利として選挙、被選挙権を含めた参政権や公務就任権なども含まれています。そして、2001年3月20日には、国連人種差別撤廃委員会が日本政府に対してこれらの権利を保障するよう勧告を行いました。このように、「内なる国際化」を進め、多民族共生社会へ向かうことは避けることのできない課題です。
(4) もう一度戦線を立て直して
「幸せになる権利」、「違いを認め合うことが豊かな住民自治をつくる」という視点と国際人権基準、そして日本人と外国籍住民との新しい運動のスタイルを創り出し、差別禁止法を求める運動や外国籍住民の無年金者問題、入管・外登法改正、民族教育、国籍法改正など様々な運動と連携しながら、それぞれの地域で様々な思いを持って努力を積み重ねている人たちとのつながりを強め、全国の仲間とともに声を1つにしながら、多民族共生社会を法制度面から確固としたものにしていくスタート台として地方選挙権の実現をめざしたいと思います。自治労と自治体の役割に思いを馳せながら。

<取り組みの経過>
永住外国人地方選挙権を巡る主な経過
2000年
1月12日   公明党・自由党が「永住外国人の地方選挙権付与法案」を国会に提出
(「朝鮮」籍在日排除、選挙権のみ)。民主・公明案と同内容
1月25日   自治労大阪府本部「地方参政権シンポジューム」
3月01日   東京で「在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会」結成 *この間小渕総理倒れ国会空転
4月20日   福井参政権訴訟(原告李慎哲さん)、最高裁が上告棄却
5月23日  公明・民主、共産、公明・自由の3法案審議入り
6月2日   国会解散、3法案廃案
6月27日  大阪参政権100人訴訟、最高裁上告棄却
7月5日   公明、保守両党「朝鮮」籍除外条項を削除し、法案提出、民主党も同様の法案を提出
8月3日   自民党野中幹事長(当時)韓国金鍾泌元首相との会談で秋の国会での成立に意欲を表明
8月下旬   自民党長老から参政権反対意見相次ぐ
9月17、18日  自、公、保三党幹事長訪韓、金大中大統領が年内成立に強い期待感表明
9月20日  野中幹事長「特別永住者」限定付与案を提唱
9月21日  臨時国会開会、反対派「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」結成
9月22、23日   金大統領訪日、首脳会談で法案年内成立を要望
9月下旬   自治労大阪府本部 市長会・町村長会へ法案の早期成立を申し入れ
9月29日  「国会議員の会」日本国籍取得要件の緩和を提唱
10月4日   公明党「自民の状況から今国会での成立にこだわらない」
11月6日  「永住外国人の地方選挙権を求める大阪実行委員会」結成
11月中旬~  国会(衆院特別委員会)で法案審議
11月20日  大阪実行委、東京で国会議員要請行動
11月26日  磯村大阪市長、朝日新聞で「参政権慎重論」
11月29日  大阪実行委「府民の集い」開催
12月1日   臨時国会閉会、法案継続審議
12月27日  大阪実行委、磯村市長に申し入れ
2001年
1月13日   通常国会開会、3与党「国籍等に関するプロジェクトチーム」
国籍法改正の方針
1月20日   大阪実行委「地方選挙権セミナー」開催
2月初旬   永住外国人の地方選挙権を求める署名開始 大阪で13万人分集約
2月7日   民主党内で参政権反対派旗揚げ
2月15日 3与党PT、日本国籍取得について「条件の緩和」「届け出承認」を軸に調整
2月20日   東京で「外国籍住民公聴会」、大阪実行委からも参加
3月1日   3与党PT、「崔、鄭など5姓を日本籍姓として認可」と表明
3月14日   ヨンデネット大阪、自治労府本部が大阪市内集会
3月24日   公明党冬柴幹事長、森総理に審議再開を要請
4月1日   豊中で「外国籍住民の地方選挙権共同キャンペーン集会」
4月12日   大阪実行委「地方選挙権法案の早期成立を求める大阪府民集会」
5月26日   フォーラム「定住外国人の被選挙権への展望」に参加
5月30日   地方参政権を求める中央集会 大阪実行委から170人参加
2002年
韓国の国会で、外国籍住民の地方選挙権の法制化の動きと挫折
4月10日   国会内で、東京で院内集会 大阪実行委から代表派遣
4月26日   大阪実行委「地方選挙権を求める府民集会」
5月24日   地方参政権を求める中央集会 大阪実行委員会から100人が参加
7月30日   通常国会閉会 継続審議に
【魚拓】
ttp://archive.is/o0Pdehttp://archive.is/o0Pde
参考リンク
2014.7.24 05:00
「外国人参政権」の自治条例制定阻止へ 自民が地方組織に通達
ttp://www.sankei.com/politics/news/140724/plt1407240027-n1.html

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